はじめに近年のマーケティングを巡る環境とマーケティング活動の変化に焦点を当て、マーケティング戦略の変化をどのような視点で捉えるべきかを考察してみたいと思います。
実はマーケティングはこれまで常に企業の中で高く評価されてきたわけではないのです。
マーケティングは60-70年代には企業、特に米国企業においてもっとも華々しい部署のひとつでした。ピーター・ドラッカーが言ったようにマーケティングはイノベーションと並ぶ、企業の重要な機能のひとつと考えられてきました。
しかし80-90年代に、企業におけるマーケティングの地位は相対的に低下してきました。ヒューレット・パッカード社の創業者、パッカード氏が80 年代に次のように語ったことは良く知られています。「マーケティングの重要性を考えると、とてもマーケティング担当者に任せておくわけにはいかない」(コ トラー他、2002)。
90年代に何が起ったのでしょうか。マーケティング予算は縮小され、マーケティングの部署が分散化され、結果としてマーケティングの役割が企業にお いて減退しました(Webster et al., 2004)。Kono(2004)もまた、米国の大規模な製造業10社へのヒアリング結果に基づいて、マーケティング機能が次第に「見えない」形となり、 営業や商品担当部門に分割され吸収されていく実態を報告しています。
90年代を通して、マーケティングの地位は、その重要性とは逆に、企業のなかで独立した評価を与えられなくなくなってきたのです。しかし、ごく近 年、ことに2010年代に、マーケティングの役割が企業において復活してきた兆しがみられるのです。それはアメリカにおけるCMO(Chief Marketing Officer)の地位の変化にも現れています。
2000年代、マーケティング担当役員であるCMOの在職年数はごく短いものでした。Spencer Stuart社(2014)の調査によれば、2006年当時23.2ヶ月(1.9年)であったCMOの在職期間は次第に伸び、2013年には、45ヶ月 (3.75年)となり、ほぼ倍になっています。
IBMは、2011年にCMOに関する調査結果を発表し、「デジタル革命」という言葉を示唆しています。IBMがこのような調査を実施した背景には、企業においてCMOがより多くの予算を握るようになったことが指摘されています(東、2012)。
マーケティングは多くの顧客データを低いコストで活用することができるようになり、Eコマースや、インターネット広告で目に見えて「お金を稼ぐ」立 場になったために、予算が集中するようになったのです。つまり2010年代はマーケティングの企業における復権の年代として位置づけることができるでしょ う。
こうした復活劇の中で、我々はどのような変化に着目すべきでしょうか。ひとつの注目すべきキーワードは「マーケティングの民主化」(democratization of marketing)です。
マーケティングの民主化とは、マーケティングの実践が多くのヒトや企業のモノになったことを意味しています。これはインターネットとその技術の発達 によるところが大きいのです。たとえば、スモールビジネスやBtoB企業において、マーケティングはかつて「絵空事」に近かった。ネット以前の社会では マーケティングを実行できる手段が限られていたからです。しかし、デジタルテクノロジーと戦略手法の発達によってマーケティングをはじめて本格的に実践す ることができるようになったのです。
マーケティングの民主化は、具体的には「広告の民主化」、「マーケティング調査の民主化」というような形で現れています。
広告代理店でなくても、FacebookやTwitterなどのSNSを用いた広告、グーグルなどの検索連動型広告は誰にでもさほどのお金をかけな くても、また専門的知識がなくてもすぐにできるようになりました。この結果、これまで広告を打つことなど考えられなかったような商店やスモールビジネスも 広告を打つことが可能になりました。またウェブサイトを企業や個人が持つことが当たり前になり、インバウンドマーケティングのように、ウェブサイトへの導 線をつくりだし、顧客を誘導する手法がさまざまに唱えられるようになりました。
マーケティング調査の費用もネットを活用することで劇的に下がりました。昔は全国規模で調査を実施しようとすれば、1000万円単位の費用と数ヶ月 の時間がかかることも珍しくありませんでした。しかし現在では、1000サンプルを回収しようとしたら、調査開始の翌日にデータが納品され、数十万から実 施することができます。
また、マーケティングの民主化は、これまでマーケティングと無縁だった企業においても、マーケティングを実行できるようになったことが指摘できま す。それは例えば、BtoB企業です。BtoB企業においては、ネットがない時代は、顧客企業を訪ねて歩く努力が大きく、自社を訴求するために業界紙へ広 告、あるいはダイレクトメールを出すくらいしかマーケティング手段は考えられませんでした。
しかし現在では、コンテンツマーケティングと呼ばれる戦略や、マーケティング・オートメーションと言われる新しいマーケティング手法が開発され、BtoB企業でも、意識的にマーケティングを行う企業が競争優位性をもつ時代に入ったと言うことができます。
それだけではありません。マーケティングの民主化がもたらしたより重要な意味のひとつは、マーケティングがもともともっていたSTPのような基本的考え方が、本格的に実践できるようになったことです。STPが実践できるようになったとはどのようなことでしょうか。
STPとは、フィリップ・コトラーがマーケティングマネジメントのコアとして位置づけている考え方で、セグメンテーション、ターゲティング、ポジ ショニングの略です。つまり、どのように市場を分割してセグメントに分けるか、セグメントのうちから自社が狙うべきターゲットをどのように決めるか、さら に、自社の製品をどのように顧客に知覚してもらうか、がSTPなのです。
これまでテレビ広告を中心としたマス・マーケティング中心の時代に、STPが有効性を発揮したのは、媒体(ヴィークル)のセレクションと、クリエイ ティブ開発においてでした。そしてSTPは緻密というよりも、おおざっぱなものにならざるを得なかったのです。市場を厳密にセグメンテーションし、ターゲ ティングを行ったとしても、実際にそのターゲットセグメントだけに効率的にメッセージや商品を届けることは困難でした。メディアや流通チャネルがそのよう に対応していなかったからです。
このため、マーケティングを実践できる企業とは、食品や日用品のように、全国地域を相手として、購入頻度が高く、低価格の消費財か、あるいは、自動車のような価格が比較的高い耐久財の一部に限られていました。
マーケティングのデジタル化によって、自社が売りたい少数の顧客を市場から選び出し、選定し、そこにピンポイントでメッセージを送ることが可能となりました。
例えば、自社のサービスに関心をもってくれた顧客にブローシャーをダウンロードしてもらい、マーケターはその顧客のメールアドレスなどの連絡先を得 て、持続的に顧客とコンタクトを持つようになりました。そして、リード(顧客の反応)を見ながら、メッセージングや人的営業などのマーケティングアクショ ンを行って、顧客の反応であるリードを大きく育てていくことが、オンライン上でできるようになったのです。
またあるいは、自社のデータベースに登録されている顧客から、戦略テーマに沿って、顧客をさまざまに切り分けて、効果的なマーケティング活動を行うことも可能になりました。これはSTPがより厳密な形で実践可能になったことを意味しています。
こうした事態は、従来マーケティングを行ってきた以外の業種においても、マーケティングを行うことを可能にしました。特に、コンサルやIT関連のビジネスサービスプロバイダーはマーケティングを本格的にかつ効果的に行うようになりました。
しかしこうした活動は従来のマスマーケティングがなくなったことを意味しているわけではありません。多くの消費財企業にとっては依然としてマスマー ケティングは重要です。しかしマス消費財を扱う企業でも、自社独自のEコマースを展開するなど、あらためてマスマーケティング時代とは異なったSTPを実 践する機会が増大しているのも確かです。
【引用文献】