大学教授、そしてデータサイエンティストとして、早くからAIの学術やビジネスでの利活用に取り組んできた第一人者に、生成AIの急速な普及による高等教育に起きる変革と、人間のケイパビリティ拡張について、独自の視点から語っていただきます。
── 生成AIの普及を受けて、社会は今後どう変化するとお考えですか。
「情報革命」と呼ばれている一連の大きな技術革命の中で、やはり最もインパクトがあったのはインターネットで、その後スマートフォンが登場し、SNSやディープラーニングが生まれてきました。AIがこのインターネットが誕生したということと匹敵するほどの大きな変化をもたらす、ということを多くの人たちが認識し始めています。その上で、AIは少なくとも人々の「学ぶ」「働く」といったことを大きく変える。すなわち「生きる」ということそのものが、生成AIの普及で変わっていきます。
──インターネットがもたらした変化と同じようなことが、もう1度起こるということでしょうか。
そうですね。ただし変化自体は違うものになります。農業革命、産業革命は、ある1つの産業をつくっただけではありません。以前は狩猟的な小さな単位だったコミュニティは、農業革命により治水事業を行うようになり、そこで富が生まれて蓄積され、さらにヒエラルキーもできました。もっと大きな国が生まれ、階級が生まれ、大きく人類史が変わっていきました。産業革命では、経済というものの中に、我々は大きく飲み込まれていき、大量消費、大量生産を行うようになりました。21世紀の現在も、その影響下にあります。
生成AIは何を変えるのか。例えば、今までは知識を習得することがいわゆる教育でした。産業革命が現在の教育の在り方を定義づけたところは大きいと思います。大量消費、大量生産の中で、社会である役割を持って働く。その役割を持って決められた働き方をするための一定期間の修練が教育期間でした。読み書きなど、ある種の歯車としてはまるための一定の技能を持って社会に出て、働き続ける。
この状況は生成AIが出てくる前から、すでに変わり始めていました。例えば検索エンジンの登場で、もはや知識は習得するものではなくなってきています。検索のセンスが技能になる。
1年ほど前ですが、中国では知識を詰め込んで人々を競争させるような教育産業は害だと判定して、なくしました。非常に大きな変化だと思います。
生成AIが出てきたことで、人の生きる能力、学ぶ能力は変わります。知識の習得、検索のセンスではなく、今度は問いを立てる力が重要になります。問いをこの社会の中に立てて、社会に関わっていく。学ぶことそのものも変化し、生きること、働くことも変わっていきます。
──「問いを立てる力」が求められるようになるんですね。
「これは何ですか?」という知識への問いは検索で答えを得ることができます。そして生成AIは「こういった問題に関わる論点は何でしょう?」といったことも整理してくれます。
もちろん精度の問題はあります。現在のところ、医療や法律に関して、ChatGPTの答えを鵜呑みにするのは自殺行為なのですが、検証は必要なものですが候補を出してくれるところまではものすごいスピードで出してくれます。仮にコンサルティング企業に投げて返ってくるまで数週間かかることを考えると、一瞬でそれなりのレベルの答えが返ってきます。
新しい価値をつくる、センスがいい、価値の高い問いを投げかけながら前に進んでいくっていうことが、必要になってきます。それが、これから私たちが磨いていくべき力だと、考えています。
──その力はどうやって身につければよいのでしょうか。
1つには、問いを立てる力を磨くのは、「問いを立てること」。それしかない。今まで、それは意外にされていませんでした。問題を作る側に我々はなっていません。
例えば、ゲームは子供にとって害だという仮説があります。ある一定レベルまでであれば、それを体験することに価値があるかもしれませんが、ある決められたルールに中毒のようにはまって、同じことを繰り返し続けることは、成長につながらないかもしれない。しかし、ある程度広く知った上で、「自分たちでゲームを考えてみよう」となると、新しい能力を磨くことになります。あるいは、我々が飛騨を拠点にした大学(編注)で行おうとしていることは、実践の現場に入って、一生懸命考えて行動することです。今までは「こうすれば経済はよくなるかもしれない」「こうなったら、地域社会でもっとあの笑顔が生まれるかもしれない」「今までの実践にはこういう課題があって、こういうことを学ばなければならない」といった座学があって、教育の大半を占めていました。そうした座学部分のところまで、あるいは課題を整理するところまでは、AIを利用することでかなり早くできるようになります。あとは実践です。そういった場に入って実証しながら共に問いを立てて、現実のフィードバックを受けながら、より良いものは何かということを考えていくこと。これまでは理論と知識体系を学ぶことに、重きを置いてきましたが、そこまでのスピードをぐっと縮めることができる、誰でもある程度の専門家に近いところまで、課題の整理ができるようになってくる。この現実に対して、「次は何をやればいいか?」ということを実践しながら考えていく。
もう1つは「繋がる力」です。自分1人でそれはできません。これまでの教育では、孤立した状態で、いかに与えられた問題を解くという能力を磨くことに特化していました。これだけ社会の問題が複雑になってきて、かつ孤立したものに関しては、もうむしろAIの方が速い。地域をより豊かにしようというときにエネルギーと教育、医療あるいはアートなどを繋ぎながら新しい文化をつくっていこうというときには、この「繋がる力」が重要になります。「繋がる力」には生成AIのような技術との繋がりも含まれます。
ビジネスにおいても同じでしょう。もちろん世の中にはさまざま仕事があり、すべてその方程式でいくわけではありませんが、大なり小なり、学ぶことと働くことには繋がっている部分があるので、互いに影響を受けながら、発展していくのではないかと思います。
──「問いが大事」となり、「問いを立てる」ための能力を磨くトレーニングをしていくことになると思いますが、その前提となる力、これまで通りの学習は必要なのでしょうか?
これまで通りに必要ですけど、ウエイトは変えた方がいいでしょうね。
スポーツでいえば、これまで通りの学習とは、筋トレ的な部分です。実際の場面で使えるかどうかは別として、これは基本的な動作に必要なものとして知識体系を学んでいく。体を動かして、いろいろスポーツをやる上で、筋トレはある程度必要です。例えばマラソンであれば、それに必要な筋肉などを連動して動かしていく体や持久力が必要ですし、サッカーであれば、もちろん筋力も必要ですし、連携といったプレーに対する理解も必要。格闘技だとまた違ってくる。
ただこれまでは、かなりその筋トレのウェイトが高かった。これからは、より実践のなかで問いを立てながら、必要な知識を身につけていくアプローチも必要になります。
たとえば、かつて「文体を学ぶ」「自分なりの文体を作る」ということは国語と言われるもののなかでも高度に実践的な技術で、「文体とは何か?」を知るには、名著と呼ばれるものを読むしかその方法はなかった。しかし、今、生成AIを使うアプローチでは、文章を夏目漱石風に、ゲーテ風に、アルチュール・ランボー風に書くというものがあります。その精度にはまだまだなところがありますが、彼らの特徴的な言葉遣いや概念の表現の仕方が、生成AIを通して、その癖や好きなポイント、表現の美しさ、自分の文体と相性のよい表現を選んでくれます。
教育体系に基づいて一定のレベルまで習得するというところも必要なのですが、こうして実践のなかで自ら知識を能動的に身につけていくことも必要だと思います。
──コンピューターを使える、使えない人。誰もがスマートフォンを持っている国、そうでない国とデジタルに対するスキルギャップが存在していますが、生成AIの登場はその問題の解決に繋がるのでしょうか?
若いZ世代やアルファ世代の人たちはデジタルネイティブなので、彼らはデジタルを、もうすでに当たり前のものとして接することができるアドバンテージがあります。その一方で、上の世代であるジェネレーションXの人たちは、インターネットの登場で社会が変わったという変化を一度体感しています。この「技術革新が世界に何をもたらすのか」ということをすでに体感できているのは、1つのメリットかもしれないですよね。
つまりインターネットの登場で、格差が広がったのか、世界は悪くなったのか、ということと同じです。それはイエスでもあり、ノーでもある。この30年間、その技術をいち早く導入して、イノベーションにつなげることができた企業は、大きく成長しました。Salesforceをはじめとしたアメリカのテックジャイントがそうです。その技術を掴んだ企業とそうではない企業の差は、やっぱり歴然としたものになりました。
もちろんそれは格差につながることもあれば、ダイバーシティ&インクルージョンを解決する技術にもなりうる。Salesforceでいえば、虐待防止や地域をサポートするためのソリューションなどを作っていますね。
1人1人のスキルアップがある中で、AIやITの力をより質の高いサービスを行うためにも使うことができると思います。使い方次第だと思うんですよね。
生成AIが格差を広げるのか否かというと、もちろん両方の側面があるので、そういった点を踏まえて、どう使うのかということではないでしょうか。
そこで、すでに顕在化している問題の1つに、生成AIが生み出すイメージそのものにも偏りがあります。例えば、Midjourneyに「日本人女性」と入力すると、和服を着た吊り目の女性しか出てこないため「これは偏見を助長している」と話題になりました。AI自体には偏見の概念はなく、データベースそのものが偏ってるわけで、そのためやはり偏りが起きてしまう。
一方で、「CEO」と入力すると今度は白人男性が出てくる。これはデータベースを均質化することで変わるかというとおそらく変わらない。現実が歪んでいるわけです。
その結果AIが答え出すとどうなるかというと、例えばCEOで白人男性が出てきても、多くの人たちは実態がそういう歪み方をしているからと思うわけです。このような歪みは見えやすいから。
しかし、今後は、人事において「例えば、店舗の状況を見た上で、どういう人が最も生産性を上げますか?」といった感じで生成AIに頼り始めるようになると思います。すごく良い答えが毎回返ってくるなかに、差別や偏見のアルゴリズムが含まれていたら、質問者や生成AIに悪意がなくても、気づかないうちにその対象となる人たちに対する悪影響が出てくる状況が生まれる可能性があります。
この問題は少し前に日本の医学部でも、アナログなかたちで起こっていました。医学部とは1人を何億円かかけて育てるところで、そこで育った人がそのまま病院の戦力になります。女性の場合、子育てで離脱してしまう可能性があるから、優秀でも女性の点数を下げて、とにかく男性を合格させるという学校がいくつか存在したんですね。ダイバーシティ&インクルージョンの観点から、それは社会的には容認されない判断基準です。しかし、例えば現実のなかで、生産性というパラメーターを見たときに、本来、許容してはならないアルゴリズムが含まれてしまっていた場合、我々はそれを気づかないないうちに使うというリスクもあるわけです。
これは1つの例ですが、生成AIの圧倒的に有用である側面と、それが社会の歪みをより強くしてしまう可能性がある側面ということを踏まえた上で、どう使っていくか、あるいはそれはAPIやプログラムで、どう制御して使っていくかという問題は、やはり早い段階で顕在化してくると思います。
これは1つの側面でしかありません。プライバシーの問題提起が先行していますが、おそらく偏見や差別みたいなものもこれから出てくるはずです。少し前の対話型AIはすぐ差別的言動に染まっていましたが、回答のアルゴリズムは工夫されていて、ChatGPT 3ぐらいからは、バランスをとるようになっていて「いや、両論ありますよ」とポライトに中立的なかたちで発言をするので、一見すると差別的な内容はかなり少なくなったのですが、そういったものが内在している可能性は、常に頭に置いておかなくていけない。
技術そのものがもたらす恩恵と、その側面でもたらす歪みは重要ですよね。Web2にはいろいろな課題がありますが、SNSなど人類の繋がりは生まれたものの「滞在時間最大化アルゴリズム」が、分断を招きました。いかに滞在させるか、心地よいものにつけ込むために。異質なものは見せず排除して、基本的にその人が心地よいもので包んでいく。その結果、極端なコミュニティが、それまでの世界以上に生まれました。繋がったことで、フェアで寛容なリテラシーが育ったのではなく、むしろ、世界中で時間を使える人たちが集まり、より先鋭化しました。
──AIが広く使われるようになっても、誰の悪意がなくても知らず知らずのうちに「歪み」が存在する可能性があるのですね。
その通りです。Web2が招いた分断は、世界自体が認識する前に広がってしまい、制御そのものが困難になり、今日に至っています。
生成AIから始まるこの一連のイノベーションは、間違いなく、革新的な新しいサービスを作り、社会の仕組みそのもの、学ぶということ、働くということ、人の能力を使って社会とどう関わるかということそのものを変えていきますが、同時に歪みが常にあります。
まさに今、世界中の人たちが生成AIにアクセスしながら未来の可能性を考えています。これは大事なことですが、利便性が拡張するのと同時にやはり新しい悪意も生まれてしまいますし、あるいは悪意がなくても、歪みが生まれるケースも出てきます。その点を考えながら、今は新しいテクノロジーとともに歩んでいくライフスタイルをつくっていくという時期なのかなと思います。
──AIはまだこの歪みを解決してくれないということですね。
AIそのものが自立して、人間界を制御するという段階には、まだ達していない。生成AIの進化は劇的ですが。もちろんルールづくりのサポートなどはしてくれると思います。
生成AIを使って、かつてない便利な仕事ができる、学びができる、プロジェクトを作れるということと同時に、その結果、生じる歪みも間違いなくあります。一定の人たちの仕事が失われるというのも、その1つですが、その判断のなかで実は歪んでいることも、当然やっぱりあるはずです。
知識が不正確だというのはすぐわかります。医療において、生成AIを鵜呑みにするのはありえません。データベースも古く、そもそも正確性の観点からまだ課題があります。ただ、アイデア出しの一環で利用するのは大丈夫なところですよね。ただやはり判断の過程で、それが歪んでいたときに検証できるようなリテラシーがないと、バイアスの中に飲み込まれていく可能性はあります。
──より便利な世の中になりつつも、これまでと異なる考えなければならない問題が出てくるので、大変であることには変わりがなさそうですね。
そうですね。「良かったか、悪かったか」などの評価はもう少し時間が必要になると思いますが、かつてインターネットが生活に入ってきて、いまは多くの人がそれを前提に生きていますよね。距離の取り方は個人の判断によることになると思いますが、社会全体として既に生まれている新しいテクノロジーと付き合っていくしかないだろうと思います。歩みを止めるという判断は、現状では考えづらいですよね。
──たとえばアメリカの企業が開発を中止しても、中国では進みます。
教育の場面でも言われています。自戒を込めて大学教員として私も言いますが、「○○について調べよ」「○○について論点を述べよ」という課題は、すでに意味をなさなくなってしまいます。ChatGPTにポンと投げれば、論点を述べるくらいであればすぐに答えてくれますし、サマリーを整理することもできてしまう。
もちろん、ChatGPTを使わずアナログにサマリーを整理するといった作業は、学生の筋トレとして行う必要はあります。ただ課題として出しても、ChatGPTが使われたかどうか、検証困難になってきます。
教師側は「教える」というよりも「共に学ぶ」となってくると思います。教師は学生がChatGPTなどを使う前提で、学びになるような課題を出さなければなりません。全世界の教師、教育機関が頭を使う時期がしばらく続くと思います。
──AIはまだ知識として間違っているところがあるとのことですが、今後、100パーセント信頼できるものになるのでしょうか?
もしかしたらGPT-5で解決するかもしれないです。既に、その対策はとられています。例えばソースを示すという点。AIがどのような根拠に基づいてその知識を集めてきたのかをたどれるようにすれば、その知識に習熟していなくてある程度の検証が可能になります。
私自身も専門ではないものに関しては、疑いをもってたどることができる。別途、「ChatGPTの答えはどうなんだろう」と検索してチェックすればいいだけです。現状、こういった検証能力は使っていく上で必要ですが、遠からず、APIを利用してソースを示したり、チェックをするようなパッケージを企業がつくって、それをOpen AIといった生成AIをつくっている企業がBtoBで提供していくといったことが始まると思います。
もしかしたら、直接、ジェネレーティブAIを叩かせるというサービスはどこかで終了するかもしれないですね。BtoBサービスが基本になって、そちらで制御するので「リスクも管理できますよ」となるかもしれません。もちろん、そうでないかもしれませんが、少なくとも現時点でいえばAPIを被せる方法で、充分制御可能だと思います。
医療に関しても、例えば「発熱ありますか、痛みありますか、どの辺が痛いですか」といった質問に患者さんが自分の症状を答えて、「のどの写真を撮ってください」と画像AIと組み合わせて診断をするといった充分な診断のトリアージ機能までは、遠からず実現すると思います。ただし、そして、最終的に医師がそのログをチェックして処方することになる。
──その他、ジェネレーティブAIの具体的な活用方法は、考えられますか?
今、世界中で「ジェネレーティブAI 大喜利」が行われているので、みんな楽しみながら考えていければと思うのですが、例えば、コンサルティングは変わりますよね。「これを調べてください」という依頼は検索の時代になって、そのニーズはかなり減ったと思うのですが、「論点をあげる」ことは重要になっています。コンサルティングファームはPowerPointをつくることに注力しているところもありますが、そのPowerPointの価値が相当減ってしまうと思います。生成AIはそれなりの論点をあげてくれて、問いの立て方を変えながら、複数論点を出してみれば、ちょっとしたコンサルティングファームの提案のようなものができてしまいます。
では、コンサルティングファームがこれから何をすべきかというと「検証」ですよね。例えば、クライアントから依頼を受けた時点である程度、論点をしぼって現実世界で検証した上で、「○○を行った場合の成功度はこれくらいです」とPOCを回せるところまで業務にした上で、提案するといった感じです。
先ほどの例に上げた小説について、文体自体はまだOpen AIに勝てると言われていますが、それはフリーな状態でただ書かせた文体だからですよね。作家の癖をOpen AIに食べさせた上で出てくる文章は、その作家が書いた文章に相当近いものになってくると思います。
AIのサマリー機能はとても高性能なので、そうなると小説家は働かなくてよくなるかというと、そうではなくて、物語の骨格を作るセンスなどは、小説家という職業の優位性ですよね。
例えばこれまで1人の主人公の視点で書かれていた物語が、ストーリーのプロットを覚えさせることで、登場人物1人ひとりの視点の物語が一気に生まれるといったことも生成AIのスピードならできるかもしれない。そうなってくると、文体以上に、世界観の魅力がコンテンツの成否を分けるかもしれない。
多様な視点の中で物語をつくる、あるいは参加者が癖を学習させながらつくった同人的なコンテンツのクオリティが、オリジナルを凌駕するというケースが、今まで以上に起こる可能性があります。コンテンツ産業は「Co-Creation コ・クリエーション」に近づいてくるところもあるのではないでしょうか。
Midjourneyなどの画像生成AIの登場で、ハリウッドのCGスタジオの人たちの仕事が短期的に奪われています。同じことは「写真」でも起こりました。写真を撮る高い技術を持つ写真家は、iPhoneなどが広まったことで、仕事がかなりなくなりました。しかし、アート分野と連携したセンスを持った人や特徴的な視点を持った写真家は今も残っています。
絵に関して、今までは絵が上手い人しか表現をするステージに立てませんでしたが、絵がうまくなくても、こういう絵が描きたいという「熱意」で描けるようになってきました。そうすると、絵がうまい絵描きよりも、センスやコンセプトを持った絵描きのほうが残っていくかもしれない。もちろん技術力が高くて、その領域のフロンティアを切り開いていく技術を持つ人も残り続けると思います。一定レベルの理解は必要ですが、表現そのものの敷居が下がることで、クリエイターコミュニティも変わっていく可能性があると思います。
今、シリコンバレーの人たちを絶望させているのは、これまでのディープラーニングは「Pythonを使ってなんぼ」の世界だったのですが、最新の生成AIが登場したことで、最も強度のあるプログラミング言語が「英語」になったんです。英語さえできれば、プログラミング言語が書けなくてもコードを作れてしまうようになってきています。表現できる人が広がった、ある意味では民主化されたともいえます。
──英語が最大のプログラミング言語になると、マイナーな言語の国やカルチャーではAIのパワー弱くなってしまうのでしょうか。
「バイパス言語」ですね。中国語、スペイン語、英語など。数が多いということは、データにとって力であり、圧倒的な影響力があります。日本は島国という状況もあって、特徴的な文化をつくることができた一方で、日本語はメジャー言語である英語との相性が悪い。日本人は英語が苦手というのは、日本の英語教育が悪い点もあるのですが、文法も発音体系も遠い。スペイン人やフランス人が英語を習得するのに必要な時間は5、600時間と言われていますが、日本人の場合は2000時間と言われています。このディスアドバンテージがあることを前提にした上で、バイパス言語とどう付き合うかというのは、悩ましいところですよね。
短期的には英語を習得した方がいいということに間違いありません。例えば日本語で問いを投げるよりも、英語で投げるほうが精度は高い。英語を理解している人のほうが成果にたどり着けます。
今回のラージランゲージモデルの発展において、日本語で個別でアーカイブを使って覚えさせるよりも、大きなランゲージモデルに放り込んだ方が精度は良さそうだということもわかってきているので、日本語のデータベースは不要なのではないか、という雰囲気も生まれてきています。大手通信会社などが日本語のデータベースが必要だと医療の分野では言っていましたが、必要ない気もしています。大きな言語変化の部分だけうまくつくって、言語モデルの中に放り込んでしまえばいいのではないか。ここは悩ましいところですよね。
──DeepLなどの翻訳ツールは価値が高まってくるのでしょうか。
間違いなくそうでしょう。まだ日本語の変換機能は弱いのですが、会議システムや経済メディアの動画の文字起こしをして、そのなかから「印象的な言葉を拾ってまとめてくれ」「サマリーをつくれ」といったら、一瞬でかたちにしてくれる。今まで1時間かけて見ていたのですが、その要点が数十秒でわかるようになる。サマリー機能を使って、それを読んで「これは」というところだけを見ればよいようになります。時間の使い方が圧倒的に変わります。
この機能のさらにすごい点は、英語コンテンツでもできることです。今まで英語コンテンツで、センスよくアクセスするには、言語能力があって、その領域の「土地勘」を持っている人だけだったのでした。それが、世界中のコンテンツをAIに放り込んで、サマリーをつくり、スーパーダイジェストとして提供したものは、新しいYahoo!ニュースのトップになるのではないでしょうか。
──長くなったSlackのスレッドで行われている会話の内容を、生成AIが要約してくれる機能があり、会話の流れすべてを読まなくてもよくなっています。
そうなんですよ。議事録も追跡できるように作っておけばいいんです。これまで会議の録音動画があって、録音動画を文字起こししたものまで用意されているというところで止まっていました。議事録を作る人もいて、さらに議事録のつくり方にもいろいろありました。「ガバナンスに関わるところだけピックアップした議事録」や「オペレーションに関する議事録」をつくって、それぞれが違うサマリーをクイックに読む必要がある。
情報を同期したり、ジェネラライズする時間で、今、この国では、このあたりのキーワードが熱いぞと、そう全世界のビジネスにおける課題や強みなどを整理し、関係がありそうなものを深堀りしてくるだけでも精度は変わってきます。
生成AIの即戦力として使える目を見張るべきは、やはりサマライズ能力ですよね。研究室でも、論文を読んで概況をつかむという能力は学生にとって大事なもので、それを習熟するには数年かかっていました。今までは週に論文を何本読んだということが重要でしたが、現在は、何十本も生成AIに放り込んでサマライズしてしまえば、圧倒的な速度でマッピングするところまでやってくれます。
人間の能力は変わらないので、世の中にあるすべての情報を与えられても、それをすべて理解することはできません。「今、自分が知っておくべき情報」は、これまで身の回りと新聞ぐらいでした。しかしこれからは、はるかに深い世界の情報から自分が知らなければならないもの、私であればAI関連技術の分野などですが、それらはデータベースを登録しておいて、そこは厚めにサマライズしながら常にアップデートしていく。他の分野は超重要トピックだけをアップデートしていく、というように。ワーキングメモリーと対応した形で、自分自身をアップデートする仕組みは、生成AIで強烈に変わるのではないでしょうか。
──今後、AIネイティブの世代は生まれてきますよね。
もちろんそうだと思います。生成AIの利用に特化して脳を磨く世代がいるので、彼らの使い方は現在とまったく違ったものになってくるのではないでしょうか。『攻殻機動隊』のようなイメージですよね。情報の渦にダイブして、現在の私たちが見きることができない部分をたくさん拾ってきて何かを作るというほどの、感覚の差は生まれてもおかしくないと思います。
──今、若い世代は検索をあまりしなくなっています。
ChatGPTを利用するにはインターネットにアクセスさえできればいいので、今後数年で検索すら必要ないというレベルにきている可能性もありますよね。生成AIはそれくらいのインパクトを秘めています。あとは生成AIのインターフェースをどうつくるかという話があります。ChatGPTは、とりあえず一定期間、無料で一定の機能が使えて、少しのお金を払えば無限に使うことができます。そこで多くの人が自分の領域における可能性を一斉に模索している。私があげた例は氷山の一角で、あらゆる分野でビジネスモデルが出てきていると思います。そのなかでSalesforceのようにすでに利用している企業もあります。
また、すでにプライバシー情報に関する要望があがっています。プライバシー情報を入力したほうが良い答えが返ってくるのですが、それを取られたくないという考えもあります。その対策として、クラウド領域を有料で企業にスペースを与える、あるいはAPIを解放して、情報を取らない、もしくは分散させて生成AIを利用できるといったAPIをBtoBで提供したら、それだけで大きなビジネスになりますよね。
生成AIと知識体系を繋ぐレイヤーの上に、インターフェイスをいろいろな企業が乗せていくといったビジネスは少なくとも短期的には出てくるでしょうし、両社にとってメリットがあります。
──今、SalesforceではCRMのことを「ジェネレーティブCRM」と呼び始めています。CRMは信頼できる顧客情報なので、それを営業向け、サービス向けと出せるのは強みではありますよね。
生成AIをを”as a Service / aaS”モジュールでラッピングするというのは、有望なビジネスモデルですね。
──SalesforceはコードをジェネレーティブAIでつくることをアピールしているのですが、今後デベロッパーの仕事はどのように変化していくとお考えですか?
ジェネレーティブAIでコードを書いてしまえば、いわゆるコーダーは不要になるじゃないですか。中期的に見ると結構しんどいところです。ただ現在の超過渡期においては、超短期的な仕事が出てくることでしょうこの数年はPythonプログラマーの春でした。新卒でもシリコンバレーなら年収4000万円をもらえるといった感じでした。しかし今、コードフリーになるとプログラマーの価値も変わってきます。ただその言語を使えるというだけではなく、「その技術に触れながら、プログラムで何が作れるかというリテラシー」こそが大事になる。そこがプログラムを知っている人の知らない人に対する優位性になります。想像力を持って、違う仕事を作れるプログラマーには、とても大きなポテンシャルがあると思います。
── 冒頭の話で、問いを立てることが重要だということがありましたが、サーチエンジンだとWhatやHowが多いと思うのですが、ジェネレーティブAIでの筋の良い質問の仕方はどのようなものでしょうか。
それは難しいですね。それこそが、これからの教育やビジネスの答えになってくるとは思います。それは「どういうミッションをもったベンチャー企業をつくるか?」ということに近いですよね。もちろん持っている技術力やネットワーク、資金力などに依存すると思いますが、「ミッションの筋が良いかどうか」で、成否が決まります。
今までは与えられた問いをいかに解くかという点が重要でしたが、センスそのものが成否を分けてくるのではないかと思います。
── 問いの立て方という観点では、外資系の企業ではWhatやIfを多用し、深堀るときだけWhyを使います。それに対し、日本企業はWhyを多用し掘っていくことを得意としているように見受けられます。
日本の企業は、出発点に自分たちのビジネスがあって、それをどう広げていくか、あるいはどう価値を高めるかという問いにどうしても縛られています。ある種の体系の中で、質問を派生させていくというパターンが多いと思います。
産業論の話になると思いますが、この変化のフェーズで、体系そのものを疑った上で、この社会、人々あるいは未来に対して何が必要なのかという問いを立てることがやはりすごく大事です。場合によっては、未来から逆算したときにその企業自体が必要ないこともありうるわけですよね。その役割が終わる未来が見えている。そのようなケースでは、企業の経営者を主語にした問いに縛られてしまうと、どうしてもその先に進めない。
企業という主語以外のところから問いを立てるということも、すごく必要なことなのかなと。海外の企業は目指すべき指標やパフォーマンス管理という点においては、本当に明確な部分もあると思います。ただ、それが故にストックホルダーの利益などにやはり縛られる部分もあるので、そこをどうするか。「パーパス経営」という言葉が出始めてるのは、そのカウンターだとは思います。未来に対するサステナブルかつ多様な豊かさをつくるために何をすればいいかというところからの問いと派生 — 「自社あるいは自分たちの役割」といったバランスが必要なフェーズになっているように思います。
──企業は、外部要因以外からも、何か目指すべきものや価値を考えないといけない。
そうですね、このDXと呼ばれる一連の変化の中で起きてきてることは、そういうことだと思います。
生成AIの話とはまた別のものなのですが、数十年間、ウォール街に「Greed is Good」という言葉がありました。とにかく強欲さを追求し、利益を追求する。それが株主のためにもなるので正しいとされてきたのが、この数年で一気に転換しました。
なぜかというと、今まではGreed(強欲)に追求したとしても、それによる悪影響が見えにくかった。そのため許されていたところもあったし、誤魔化されていた部分もあったのですが、デジタルで繋がったことで見えるようになってしまいました。途上国での搾取やファッション産業などでの不必要なものをつくることによる環境への害が完全に可視化されたことで、もう許容されないというフェーズになりました。
この繋がった社会においては「どういうポジティブなものをもたらすか」を説明できたほうが投資家の理解も得られるし持続可能なビジネスにもなる、これが、この数年の大きな変化だと思います。
グローバルでは、そういったESG投資のプレッシャーやサステナビリティ、特に環境といったものがドライバーになっていますが、日本ではまだ企業のサステナビリティの意識はそれほど高くありません。
一方で、日本のポジティブな側面としては超少子化なので、売り手市場になっています。つまり、ブラック企業や私利私欲を求めている企業はZ世代以降からはまったく支持されません。彼らは別にどこにでも就職できるためです。
経団連の多くの人が口にしていたのですが、「今の若者は就職した瞬間に転職サイトに登録する」と。その企業が自分にとって働きがいのないものであれば、すぐ辞める。それでも他の企業に就職できるので。
得票数という意味において、若者はかつてと比べてその影響力は小さくなっていますが、労働市場という点において、圧倒的な強者になっています。実は彼らの価値観が、大企業含めた日本の企業に影響を及ぼし始めてるということは、日本にとって悪い話ではない。
未来を見て、それがどう影響を与えるかということですし、彼らが活躍できるようなビジネスやミッションをつくっていくことが、会社の未来にも影響するということです。
慶應義塾大学医学部教授、データサイエンティスト
1978年生まれ。2003年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程修了。同分野保健学博士(論文)。早稲田大学人間科学学術院助手、東京大学大学院医学系研究科 医療品質評価学講座助教を経て、09年4月東京大学大学院医学系研究科医療品質評価学講座 准教授、14年4月に同教授に就任(15年5月から非常勤) 。15年5月から慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室 教授、20年12月から大阪大学医学部 招へい教授に就任。著書に「共鳴する未来 データ革命で生み出すこれからの世界」)河出新書、「データ立国論」(PHP新書)などがある。
七戸 駿
株式会社セールスフォース・ジャパン
編集長 兼 ディレクター
Salesforce のメッセージングや編集企画制作担当。Brand & Creative、World Tour Tokyo での Main Keynote や Corporate Messaging を担う。サイバーセキュリティのセールスエンジニアやテクニカルマーケティング、オブザーバビリティ外資系スタートアップでのマーケティング戦略統括等を経験した後、現職。