「日本の成長戦略」について、多くのメディアが取り上げ、活発な議論が交わされています。国としての成長と、それを下支えする企業の成長、さらにそれらのベースになる教育・学習の充実など、そのテーマは多岐にわたります。実際に、広範な議論が行われているようで、2020年10月にスタートし、2021年12月現在で13回開かれた成長戦略会議の議事録として、すべてが公開されています。また、成長戦略を発展させ2021年10月より新しい資本主義実現本部が設置され、具体化にむけて討議が行われてます。そこで、私たちインダストリーズ トランスフォメーション事業部門において、各業界の有識者が集まり、「新しい資本主義実現への提言」について討議することにしました。その際にまとめた内容を、読者のみなさんに共有します。
日本の成長戦略は新しい資本主義実現へ発展していますが、大きく5つの分野に分類できます。その最大の拠り所となるのが、デジタルです。第1は、「デジタルを活用すること」国レベルでは行政機関のデジタル化は当然のこととして、各種規制の見直し・緩和・開放についても議論されています。ネットワークインフラの面でも、5Gの普及促進および6Gの推進が求められることになります。
デジタルを除く4つの分野は、「グリーン分野への投資加速」、「ワークスタイル改革と人材育成」、「国際競争力の高い経済」、「地方創生」に大別できます。そして、これらすべての戦略にデジタルは寄与します。
DX(デジタル・トランスフォーメーション)という文脈で語られているケースも見られました。すでにバズワードとして浸透しているDXですが、「だれもが当たり前のようにデジタルを使うようになった社会において、サービスはどう変わっていくべきなのか」を考え、それを実行する取り組みです。自社のサービスをデジタル社会に寄り添わせるためには、デジタルを活用することが必須です。たとえば、デジタルと直接的な関係がなさそうな地方創生においても、行政機関のデジタル化や観光振興のためのデジタル活用はもちろん、物理的にアクセスしづらい地域のケア拡充などにデジタルが大きく寄与できるでしょう。
図 新しい資本主義実現の大別と概要
今回、各業界へDXのアドバイスを実施している有識者が集まるインダストリーズ・トランスフォメーション事業部門における討議において、最大の懸案事項になったのが「成長」とは何なのかという本質的な問題です。「何をもって成長を達成したと言えるのか」という哲学的な命題から、「成長の目的は何なのか」、「そもそも成長する必要はあるのか」という根本的な問いまで、各人が頭を悩ませることになりました。
たとえば、鄙びた温泉旅館が高級ホテルに生まれ変わったり、職人の手作りが独特な風合いや味を生んでいた老舗がフルオートメーションの工場を建てたりするケースにおいて、それを成長と呼べるのかどうかという議論です。また、国の成長はGDPで見るべきなのか、それともGNPなのか。もしくは犯罪率の低下や国民の満足度向上なのか、という議論もしなければいけません。
そこで、意識を合わせるために、成長をこのように定義しました。「国内企業の成長により、日本全体として経済力を高める。経済を成長させるためには人材育成が大切であり、そのための教育・学習基盤を整備する。そして、最終的に、日本国民の生活の向上につなげる」。
大きなビジョンになりますが、個別の企業に落とし込めば、成長は以下のようになりそうです。「組織の規模を拡大し、売上と利益をどちらも増加させる。同時に、ブランド価値も高める。これらを目的とする企業活動に貢献できる人材を積極的に育成する。ただし、ベースラインとして社会道徳を守り信頼を生み出し続けるTrusted Enterpriseを目指す」。
私たちの討議における成長についての共通認識は、このように設定しました。では、具体的な討議内容について見ていきましょう。討議は5つの分野にフォーカスして実施しました。
1.健全な学び
学びの中心はコンテンツになります。共通化され洗練した学習コンテンツを整備した上で、初等から高等さらにリカレントに至るまで、自身の学習履歴を共通のデジタルプラットフォーム上で把握できる仕組みがあれば理想的です。たとえば、義務教育から高等教育、企業における人材育成カリキュラム、自己学習など、すべてが連携する仕組みとして運用し、データが集まれば、学習履歴とそれに最適なキャリアモデルのサンプルを提供するなどの施策が可能になります。国が予算化する研究支援については、成果の開示と研究費内訳をデータ化し、投資効率について検証する仕組みも必要でしょう。この部分は基礎研究を推進する予算と、リターンが目に見える研究成果のために行う投資を区分けし、健全に運用する必要があります。
2.日本市場から世界市場へ
日本には、高い技術力を持つ数多くの魅力的な中小企業があります。また、成長を期待できる小規模な企業もあります。経営体力面に不安を抱えて世界市場をためらっているこれらの企業に対して、チャレンジを後押しできるプラットフォームを提供する必要があります。ビジネスの評価モデルの整備を進めるとともに、事業マッチングを加速し、広く世界市場へ打って出るという経営者のマインド変革を促す施策も有効でしょう。経営のさらなる効率化の推進に加え、海外進出に最適化したデジタルインフラの提供、低コストに共同利用できるデジタルプラットフォームの整備などの施策も求められます。
3.事業への投資促進
“事業の種”の情報を守秘しながら、投資事業案件として情報を集約することがポイントになります。評価手法を確立し、開示して事業のモニタリングを適切に行い、分析結果についても明示されると理想的です。融資保証に対する考え方を改め、起業家個人でなく企業や事業に対して担保評価を行う仕組みがより浸透することも求められます。情報の集約とモニタリングはデジタルが得意な部分で、高度なリスク評価を実現するデジタル活用もすでに実用化されています。これらの今すでに実現できるデジタル活用は、積極的に推進する必要があります。
4.業務の標準化
この部分は、行政と企業がどちらも進める必要があります。ハードルが高いと言われる行政業務の共通化ですが、SaaSを活用することで雛形を示すことは可能です。基本業務は全国共通のもので、個別の事情については加味することもできますが、「カスタマイズするコストに税金投入すべきか」という視点で深く議論する必要があります。職員の負担軽減はもちろん、少子化による職員数の不足を埋めるアウトソーシングについても、同時に考えていくべきでしょう。企業側では、デジタル化の遅れている中小企業にフォーカスし、各業界監督省庁が旗を振って業務プロセスのテンプレート化や共同利用環境の提供、デジタル化基盤の認定とその導入への助成などの施策を進める必要があるかもしれません。
5.生活・健康維持
人生100年時代において、国民が幸福かつ文化的な生活を過ごし続けるためには、健康で安全に暮らすことが絶対条件になります。超少子高齢化社会が来ることは目に見えていますから、医療データなどの扱いは世界標準に適合するようにし、グローバルに利用できる状態で研究の基礎データとして活用すべきです。マイナンバー制度は個人情報という観点でネガティブにとらえられることもある領域ですが、たとえばコロナ給付金の配布はこうしたIDを利用できる米国の方が圧倒的に低コストかつスピーディに実現できたことなどで見直されつつあります。今後は、マイナンバーを国民生活の起点と位置づけ、学習・資格・健康、金融、納税など生活領域での普及を推進することが必要でしょう。先の例であれば「年収で区切って登録された口座に振り込む」、「ワクチン接種の情報を記録する」などのプロセスは、デジタル上で瞬時に実行できます。
図.討議において認識された重要なポイント
これら5つの方向性は、日本の新しい資本主義実現を下支えするものになります。5つの分野と5つの方向性が個別に対応しているわけではなく、すべてがすべてにかかわっているイメージです。中でも、デジタルは5つの方向性のすべてにおいて価値を提供でき、1つの分野として独立している上に、4つの分野に寄与する極めて重要なファクターです。
一方で、気になることもあります。日本の現在のデジタル活用の議論が、IaaS中心になっている点です。IaaSは、インフラです。その上で自由にアプリケーションを開発したり、さまざまなアプリケーションで利用するデータの置き場所として使用したりする場合に向いています。たとえば、「マイナンバー制度のインフラとして、セキュリティやガバナンスを備えたデータ基盤を作りたい」といった部分です。
しかし、経済の成長を目指すという観点からデジタル活用を考える際に、インフラの議論は限定的なものになるのではないでしょうか。先の例では、「マイナンバーというデータの中心をどうするか」ではなく、「マイナンバーを活用して国民生活をより良くするためにどうすれば良いか」という検討がなされるべきでしょう。そうなれば、インフラでなくアプリケーションの議論をしなければなりません。
基本的に、新しい資本主義実現はデジタル化をクラウド前提で考えています。そうなると、議論の中心はIaaSでなくSaaSであるべきです。インフラでなく、アプリケーションの議論を深める必要があるのです。中でも、行政機関が利用するガバメントクラウドにおいて、IaaS上ですべてを開発することに膨大なコストをかけるかどうか議論があるところと考えます。IaaSを共通基盤として開放し、各地方自治体が既存システムをそこに移行するという方向性は、「手間とコストをかけてこれまでと同じことをやる」ことになり、そこで得られる価値は極めて限定的なものになってしまうかもしれません。
極めてセキュアなデータの蓄積場所としてのIaaSと、標準化を進めて低コストに導入・運用できるSaaSを分けて考え、同時に成長に不可欠な独自要件の組み込み方についても検討する必要があるかもしれません。その部分は、IaaS上での独自開発か、柔軟にカスタマイズできるSaaSを利用するかのどちらかになるでしょう。前者は全要件を実現できますが高コスト、後者は限定的な価値しか得られないが低コストという先入観があるかもしれませんが、最新のテクノロジーでは後者に分があります。前者と同様の自由度を備え、巨額な投資をすることなく自由にカスタマイズできるSaaSは存在します。
私たちは、Salesforceを適用できるかどうかという視点でも討議しました。結論は、Salesforceが各業界向けに先進的な業務機能を提供しているインダストリークラウドを雛形に、日本の要件に合わせたテンプレート化を行えば、かなり広範囲で先進的な標準化が可能になるというものでした。Salesforceがベースですから、柔軟性は高く、ノーコード/ローコードのカスタマイズによる独自対応も可能です。APIを通して外部のアプリケーションやデータとも容易に連携できます。
SaaSを選ぶ価値は、そのスピード感でも示すことができます。IaaSなら開発作業が発生しますが、SaaSはすでにアプリケーションの形になったパッケージとして提供されます。インダストリークラウドとテンプレートを利用することにより、たとえば「行政機関の標準手続きサービス」を一斉に全自治体に配布することも可能です。それを各自治体が若干カスタマイズし、最終的に国が必要なデータだけを国側で管理するといったやり方もできます。こうして、必要なサービスを、国民・地方自治体・団体・企業を問わず、迅速に届けることができます。
5つの方向性の1つに、業務の標準化を取り上げました。行政であれば、地域独特なサービスがあり、企業であればオリジナルなプロセスがあるでしょう。注意してほしいのは、標準化・共通化の議論は、それと相反するものでないということです。全国どこでも、共通する住民サービスはあります。あらゆる企業がやろうと思えば共通化できるビジネスプロセスもあります。これらは、組織の文化や思想を侵害するものではありません。
私たちはこれらを包括的に討議し、SaaSの議論を進めるべきであると結論づけました。Salesforceのインダストリークラウドなら、現時点でも価値を提供できると考えていますし、さらに日本のニーズを踏まえたテンプレートで、よりニーズに沿った形にできます。国民生活をより豊かにし、企業の成長を支えるデジタルプラットフォームとして、いますぐに進められる現実的なソリューションとして、SaaSの議論を早急に深めるべきであると提言します。
図.Salesforceからの提言まとめ
図.Salesforceが提供するインダストリークラウド
上田 歩央
株式会社セールスフォース・ドットコム
インダストリーズ トランスフォーメーション事業本部
執行役員 公共公益事業開発室 室長
コンサルティング企業において公共、公益、通信メディアのお客様のDXプロジェクトを支援。セールスフォース・ドットコムへ入社後は公共系のお客様のDX構想からシステム導入アドバイスを担当。また、東北大学 特任教授として人工知能、サイバーセキュリティの一般教養としての教材開発を実施しています。