経営のバトンをつなぐという重責

Mipox株式会社は、各種研磨製品や研磨装置の製造・販売、およびコーティング受託/研磨受託の事業を展開する研磨関連メーカーです。会社の歴史は100年近くに及び、1925年(大正14年)にドイツ顔料の商社として産声を上げ、1970年代から研磨の分野に参入しました。以来、「塗る」「切る」「磨く」のコア技術を土台としながら、ハードディスクや光ファイバーをはじめとするハイテク分野で強みを発揮し、なかでも、半導体のフィルム方式エッジ研磨の世界市場においては、ほぼ100%のシェアを占有しています。また、2016年には日本研紙株式会社の子会社化によって、一般研磨分野へのコア技術の適用を進めています。

ちなみに、ハードディスク研磨の最終工程の材料の世界シェアがほぼ100%なため、Mipoxの製造工場がストップすれば、世界中のハードディスクの生産が止まるとされ、その意味で、同社が背負う社会的な使命も非常に重いと言えます。

従業員数は単体で100名強、連結で300名強。東京本社を含めて日本全国に10の拠点を擁するほか、米国、台湾、中国(上海)、マレーシア、シンガポール、ベトナム、タイ、インドなどにも海外拠点を構えています。

そうした同社が東京証券取引所(JASDAQ)への上場を果たしたのは2001年のこと。それからの数年間、業績の浮き沈みはあったものの2005年度(2006年3月期)には過去最高の売上高108億円を記録し、経常利益も約12億円を達成しました。ところが、そこから売上げを急下降させ、2008年度(2009年3月期)には売上高が2005年度の3分の1にも満たない約32億円へと縮小し、12億円強の営業損失を計上しました。そうした危機的な状況の中で経営を引き継いだのが、現代表取締役社長の渡邉 淳氏です。

言うまでもなく、業績が最悪と言えるレベルにまで落ち込んでいると、社員の士気も、組織の状況も、社内の雰囲気も最悪の状態に陥ります。それは、Mipox社についても例外ではなかったようです。
「例えば、優秀な人材は毎日のように会社を辞めていきますし、社内の誰もが好き勝手なことを言い始め、好き勝手な行動をとり、部門間では互いの不信感が蔓延していました。言い方は悪いかもしれませんが、当時の当社は、まるで動物園のような状態でしたね」と、渡邉氏は振り返ります。


Mipox株式会社 代表取締役社長 渡邉 淳氏

それでも、同氏には、Mipoxの経営から逃げ出すという選択肢はなかったといいます。
「当時は、目先の問題を解決するのが精一杯で、『どうして自分は逃げ出そうとしないのか』などと考える余裕はありませんでした。ただし、いま思い返すと、自分に課せられた使命の重みは強く感じていたように記憶しています。実際、100年近い当社の歴史の中では、太平洋戦争など、会社の存亡にかかわる大きな危機と幾度も直面してきたはずです。それでも生きながらえてきたということは、誰かが必至になって難局を乗り越え、経営のたすきをつないできたからです。加えて、当社のことを信頼し、頼ってくれているお客様も数多くいらっしゃいます。そうしたつながりや経営のたすきを自分の時代で断ち切ってはならないという想いが、当時の私を突き動かしていたのかもしれません」

デジタルトランスフォーメーション(DX)の選択

崩壊寸前の組織と経営を立て直し、未来へとつなぐ──。そのために渡邉氏が決断したのが、ITによって社内コミュニケーションのあり方、働き方、組織のあり方を一変させること──すなわち、社内のデジタルトランスフォーメーション(DX)の遂行でした。

「JASDAQ上場からの数年間、業績がみるみる伸びていく中で、当社は完全に浮足立っていました。要するに、会社としての価値観・ビジョンの共有や、働き方/経営の基準/基盤もないままに、人だけをどんどん増やし、拡大路線を突き進もうとしていたわけです。その意味で、2005年度に108億円を売り上げたのも、しっかりとした戦略と企業活動の土台があって、必然的にそうなったわけではなく、たまたまそうなったにすぎなかったと言えます。このような会社組織は、勢いが止まり、モノゴトが逆回転を始めると非常にもろく、すぐに瓦解し、いかに優れた技術を持っていようとも、逆風を跳ね返しながら、成長・発展を続けていくことはできません。そのことを、身をもって知った私は、DXによって新しいコミュニケーションのあり方、組織のあり方、働き方、そして経営基盤の確立を目指したのです」(渡邉氏)。

ここで、渡邉氏がなぜ、デジタルテクノロジー(IT)を経営再建の原動力として選択したのかについて疑問に感じる方がいらっしゃるかもしれません。そうした疑問に対して、渡邉氏はこう答えます。
「私は学生のころからパソコンを使っていましたし、Mipoxに入社して間もない1990年代前半にはインターネットで海外とやり取りしてプロジェクトを回す試みに参加し、ITのすごさを実感していました。その中で、10億円強の赤字を抱える会社の経営を任されることになり、改めてITの威力を企業の変革にフルに活かそうと考えたわけです。どうしてそう考えたかの答えはシンプルです。30人分の労力が必要な事業があるならば、25人分の雇用コストをIT投資に振り向け、業務の自動化・省人化を図ったほうが経営効率は良く、事業の拡縮に柔軟に対応できるためです。いまの時代、何が起きても不思議はありません。そうした不測の事態にも対応できる柔軟性は、ITの活用なくしては高められないのです」

とはいえ、ITによる変革を推進しようにも、10億円を超える赤字を抱えたままでは、そのための原資は捻出できません。そこで2008年度からの約3年間は、不採算事業の整理や一部工場の海外移転といった赤字圧縮の施策を打ち続け、2010年度には赤字を解消し、「一息つける状況」(渡邉氏)にこぎつけたといいます。

オープンコミュニケーションの推進で組織の壁を打ち壊す

渡邉氏の言う「一息つける状況」の中で、同氏がまず着手したITによる変革は、組織の壁を打ち壊すことです。
「赤字を解消したとはいえ、当時の社内は、部門同士の仲が非常に悪く、本来は顧客のほうを向いていなければならない営業が、製造や技術(開発)、品質保証といった社内部門との調整に明け暮れていました。そこで、組織の壁を超えたオープンなコミュニケーションと情報共有を実現する施策から、ITによる変革に着手したのです」(渡邉氏)。

この施策を遂行するために、渡邉氏は2011年にSalesforceを採用しました。また併せて、組織の壁を物理的に取り払う施策も展開し、本社オフィスを移転して、間仕切りのないワンフロアにすべての部門を配置させました。そのうえで、社内コミュニケーションにメールを使うことを一切禁じ、全てをチャットツールであるSalesforce のChatterに集中化させる指令をトップダウンで出したといいます。
「メールは非常に閉鎖的なコミュニケーションツールで、組織を横断するオープンなコミュニケーションには全く不向きです。しかも、メールに蓄積されていく情報は基本的に、メールの発信者である個人の持ち物であって、会社の共有資産にはなりえませんし、このようなツールを社内のコミュニケーションや情報共有に用いること自体が間違いで、それを続けているようでは、組織力の強化は望み薄です。ゆえに強制力を働かせて、チャットへの移行を指示しました」(渡邉氏)。

メールからチャットへの強制的な移行に対しては、社内での戸惑いや反発もありました。それを押さえ込む一策として、渡邉氏は自らの日々の想いや経営理念、社員向けメッセージを1年365日チャットで発信し続けたといいます。また、Chatterを使い組織横断のプロジェクトを回す仕組みをSalesforce 上に構築し、その活用も促進したほか、部門間のコミュニケーションを活性化させる目的で、リアルな場での催し物も増やしたといいます。
こうした一連の施策が奏功したこともあり、Salesforce 上でのオープンなコミュニケーションと情報共有が社内の文化として醸成されていきました。

「このように、Salesforceのようなツールを社内コミュニケーションと情報共有のプラットフォームとして使い、社員たちの日々の活動の中で生まれた情報を開放させ、可視化することで、部門同士/社員同士が互いの仕事内容と役割を理解するようになります。これによって、相互信頼の関係も構築され、社員同士・部門同士の『仲が悪い』という問題も自ずと解消されていきました」と、渡邉氏は説明します。

10年後、20年後の未来を見据える

オープンなコミュニケーションと情報共有を社内に定着させた渡邉氏は、オープン化されたあらゆる情報を相互につなぎ、業務の効率化や迅速な行動、経営上の意思決定に役立てていく施策にも力を注ぎました。

この施策は、社内のあらゆる情報を単一のプラットフォーム上に集約し、相互につなぐというもので、目指した一つは、働く場所・職種・民族・言語を問わずにMipox社のすべての社員が協働(コラボレーション)できる環境の実現です。

その目的の下、Salesforce 上には、すでに、勤怠管理、稟議、予定、報告/レポート、ISOマネジメントなど、多岐にわたる業務が実装されているほか、人事データベースも統合され、人事の評価もSalesforce 上で行われています。さらに、基幹業務システム(ERP)とSalesforceとの連携も実現されており、Mipox社員は、あらゆるデータがつながった状態で業務が進められるといいます。

「このプラットフォームは、まさしく経営の基盤としても機能しています。例えば、プラットフォームを通じて、顧客のクレームを可視化し、適切なアクションへとつなげることも可能になっていますし、勤怠管理のデータを通じて、働き方のコンプライアンス性を確保することもできます。もちろん、収支や予実のデータをリアルタイムに把握したり、問題部分をドリルダウンしたりして、意思決定とアクションのスピードアップも図れます」(渡邉氏)。

もちろん、こうしたプラットフォームを実現するには、社員の一人一人が、ITによって業務のあり方や働き方が変わること、あるいは、ITを使いこなしたり、ITを通じて自らのビジネス活動をすべて社内に開示したりしなければ、会社に貢献できないことを受け入れなければなりません。さまざまな社歴や年代の社員が混在する中で、渡邉氏は、どのようにしてそうしたマインドセットの変革をリードしてきたのでしょうか──。この問いかけに、渡邉氏はこう答えます。

「正直に言えば、私が推し進める変革に返発し、会社を去っていた人たちもいます。また、上の年代の人にとって、ITを使いこなすのは簡単ではないことも分かっていましたし、何よりも、ITによる変革に対応するには、これまでの価値観を変えなければなりません。それは古くから働く社員にとって、ITを覚える以上に受け入れがたいことだと言えます。ただし、だからといって、ITによる会社の進化にブレーキをかけるのは経営者としては失格です。経営者にとって最優先で成すべきことは、これから10年先・20年先に会社の中核を担うデジタルネイティブの若い世代が、それぞれの能力をフルに発揮できる環境をいち早く整えることです。そうした考えに共感できず、価値観を変えることを頑なに拒む人とは一緒に仕事できない──。少し冷たいようですが、そんなふうに私は変革をリードしてきました」

さらに渡邉氏は、自社にとって、ITによるオープンコミュニケーションの推進や経営基盤の確立がいかに重要なのかについて、次のような説明を加えます。
「我々のようなメーカーが、技術だけで戦う時代はすでに終わっています。また、そもそも優れた技術を有しているのは、メーカーですので当たり前のことです。となれば、これからの差異化のポイントは、コミュニケーションや経営の基盤をどう築くかで、それによって課題の発見や対応スピードをいかに高めるかです。その意味でも、会社のDXは、メーカーにとって極めて重要な取り組みと言えるのです」

渡邉氏によれば、DXは終わりなき取り組みであり、これからも、先端の技術を適宜と陸込みながら、Salesforceを使った自社のプラットフォームを発展させていくといいます。赤字からのV字回復を支えたプラットフォームは、いまもなお進化を続けています。

 

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