Salesforce World Tour Tokyo 2015で行われた京都大学山中教授による講演の模様を、ダイジェスト版でお届けします。
iPS細胞は医療の在り方を根本から変える、まさに世紀のイノベーションと呼ぶにふさわしい発見です。このイノベーションを成し遂げた山中教授の秘訣は、アメリカの研究所に所属していた際に恩師であるロバート・メーリー博士から頂いた「VW : Vision & Work Hard」という言葉でした。
日本人は組織について語るとき、Visionに関してあまり強調することはなく、しばしば忘れ去られてはいないでしょうか。Visionはいわば「どこに向かっていくか」という将来、ゴール、行先を示すものです。Hard Workのみでガリガリ前進するだけでなく、どこに向かっていくのかという強固なVisionも合わせ持つことが重要ということを、この言葉は教えてくれています。
以来、山中教授は「VW : Vision & Work Hard」をモットーとして、研究に没頭していきました。では、山中教授にとってのVisionは何だったのでしょうか。それは山中教授のキャリアのスタート地点までさかのぼります。
山中教授のキャリアのスタートは、もともと研究者ではなく臨床医(整形外科医)でした。たくさんの患者さんと向き合ってきましたが、その中で一番忘れられない患者さんが山中教授の父親。当時の医学では治せない肝炎にかかっており、懸命の治療もむなしく、山中教授が医師になって2年目に亡くなってしまいました。
山中教授は、「医者になったのに、実の父さえ助けられないことに無力感を感じました。今の医学の力ではどうすることもできない。そういった患者さんを5年後、10年後、20年後に治すにはと思い、研究者になりました。」という当時の心境とVisionが誕生した経緯を講演で述べています。そして大学院に入り直し学位をもらってから、30歳に渡米して研究者としての第一歩を踏み出すことにしたのです。
アメリカでの研究生活は、山中教授にとって素晴らしい3年間となりました。一定の研究成果を収めた山中教授は、日本に意気揚々と帰国しました。世界最先端のヒト・モノが集まるアメリカで研究が順調だったのだから、日本での研究者生活も順風満帆……と思っていたのです。しかしアメリカでなら同じように論文を提出すれば通っていたものが、ジャーナルに研究論文を提出しても却下され続けました。アメリカでの成果は、自分自身の力だけで得たものではなく、恩師である博士たちの後ろ盾や、研究を支える人の力で達成できていたことを実感して、日本に帰国してからの毎日との違いから、研究者の道を諦めることさえ、考えをよぎるようになりました。
そんな時に、転機が訪れます。1999年、世界に通用する先端技術の研究・開発を目的として文部科学省肝いりで設置された奈良先端科学技術大学院大学において、山中教授は助教授(現在の准教授)として採用されました。当時山中教授は37歳。今でこそ30代で研究者として研究室を主宰するというのは珍しくなくなってきたそうですが、当時は異例だったと言います。
この登用に勇気づけられた山中教授は、研究者人生を続けることを決意。そのときの心情を、「どうせ研究者の道を諦めかけた自分なのだから、どうせなら他の人がやらないようなことを研究しよう」と決意します。スランプを乗り切り吹っ切れた山中教授は、自身の持つVision達成のために自分独自の道を進むことを決めたのです。この奈良先端科学技術大学院大学での成果が、世紀の発見に大きく寄与しました。
コンピュータもハードディスクやUSBの購入時は、真っ白な状態です。しかし色々な状態が書き込まれて、いっぱいになります。しかしコンピュータの場合は、リセットボタンを押せば、初期化して真っ白な状態に戻ります。
同じように私たちの体も命のはじめは、受精卵で真っ白な状態であり、その受精卵に色々な情報が書き込まれるかのように遺伝子が活性化し、ある細胞は脳の細胞になり、ある細胞は心臓の細胞になると考えられています。
「大人の皮膚や、血液の細胞でも、同じようにリセットボタンがあって、初期化して受精卵の状態に戻せるのではないか?受精卵の状態にさえ戻れば、どんな細胞にでもなれる幹細胞がつくりだせるのではないか」という大胆な発想を、山中教授は集まってくれた若い仲間と、半ば楽しみながら研究したと言います。
この細胞の初期化に必要なスイッチは4つありました。神経細胞や皮膚細胞など、それぞれ異なった細胞ではオフの状態になっているのですが、遺伝子操作でこの4つのスイッチを強制的にオンにさせることで、受精卵に近い状態の細胞(iPS細胞=Induced Pluripotent Stem Cell)に変化させることができるのです。このiPS細胞には2つの長所があり、ほぼ無限に増やせて、様々な細胞をつくりだせるため、「万能細胞」とも呼ばれています。
山中教授は、自分の体験に基づく強力なVisionを持っていました。しかし、それだけではiPS細胞は生まれなかったでしょう。Visionを実現するための行動、つまりHard Workがなければ、Visionは絵に描いた餅で終わっていたかも知れません。
このHard Workというもうひとつの柱において、山中教授を大いに助けたのは周りの仲間でした。アメリカで研究が上手くいっていたのは、実は山中教授を支えてくれた研究スタッフの存在がありました。山中教授が研究に集中できるよう彼らスタッフが献身的にサポートしてくれたからこそ、アメリカでの研究生活が実りあるものになったと教授は振り返ります。
そして日本に帰ってからも、夜遅くまで研究にいそしむ若手メンバーのHard Workに大いに助けられました。もし彼らがいなければ、iPS細胞発見という偉業は達成されなかったかも知れません。この体験は、後日設立される400人超の組織「京都大学iPS細胞研究所」のマネジメントに大きな影響を与えることになります。
京都大学において、iPS細胞の研究を推し進めるために2010年に「iPS細胞研究所」が設立されました。まず山中教授はここで、特許取得に力を注ぎます。山中教授は、「民間企業にとって、特許は技術を独占する手段。私たちは逆でiPS細胞 という技術を独占させないため。世界中で安心して使ってもらう、そのための特許」と振り返ります。一人でも多くの患者さんの治療に貢献するため、世界中の企業や研究機関で利用してもらう体制を整えたかったのです。
世紀の発見をさらに推進させるための研究所……にも関わらず、研究所で働く教職員の9割が非正規雇用の方々です。iPS細胞の有用性が実証された今、さらに大きなVision実現のためにはより多くの分野から人を集め、その知を結集させることが重要です。
いかに日本人がHard Workの資質を持っていたとしても、安心して働ける環境がなければ、彼らにHard Workを期待するのは難しいでしょう。そこで山中教授は、ファンドレイジング(iPS細胞研究基金についての詳細はこちら)や自身がマラソンに出て支援を訴えるなど、ありとあらゆる手段を使って教職員がHard Workに没頭できる組織体制を整えようとしています。
講演の最後にあった質疑応答で「日本が医療分野で世界に向けてリーダーシップを取っていくためには、どうすればいいか」という質問に対して、山中教授は次のように語っています。
「短期的な実用研究への投資と、長期的な基礎研究への投資というふたつの視点が大事。後者の長期的な基礎研究においては、若手にどんどんチャレンジングな仕事を与えるITの世界のように、若い人の柔らかい頭から生み出される発想を、いかに育てていくのかが重要です」。
組織においても、ヒエラルキーが強く硬直化すると、イノベーションが生まれづらい状態になるのは想像に難くないでしょう。リーダーにとっては、いかに風通しの良い組織風土を作り、若手からどんどん声が上がる組織にできるかが、イノベーションが起きやすい土壌が作れるかどうかのひとつのポイントです。また、山中教授が研究室のリーダーとして抜擢されたのは37歳の時。組織においても、このような思い切った人材登用が必要になる場面もあるかも知れません。
世界最先端の舞台で戦う研究者のストーリーは、企業で働く人々にとっても学び多い内容でいっぱいです。山中教授が達成したイノベーションのエッセンス「Vision & Hard Work」を、貴社の組織でも活かしてください。