1920 年の第一回国勢調査以来、2005 年に初めて日本の総人口は減少に転じました。その後一時は持ち直すものの、2011 年以降の対前年人口増減率はずっとマイナスをキープしており、これから先もずっと人口は減り続けると予測されています。人口減少による地方都市への影響は 深刻で、産業の減退、シャッター商店街の拡大などに苦しむ都市は増えていくと予想されています。
日本の人口の推移と将来人口の予測(1955 年〈昭和 30 年〉~ 2050 年)
地方都市にとって、地方創生や町おこし・村おこしは「生存戦略」と言っても過言ではありません。しかし、そのような厳しい状況でも地方創生に成功している自治体があります。彼らの戦略の共通項は、
にあります。
※写真はイメージです。実際の街並みとは異なります。
大分県北部に位置する豊後高田(ぶんごたかだ)市は、かつて賑わっていたころの昭和 30 年代の町並みをテーマにして「昭和の町」を設立。一時期は「人よりも犬、猫が多い商店街」とまで言われた町を、年間 20 万人近い観光客が訪れる観光スポットに育て上げました。
豊後高田市は、その昔は海上交通の拠点としておおいに栄えました。最盛期の昭和 30 年代には 300 店を超える商店街で賑わっていたものの、時代の流れに押され衰退の一途をたどっていきました。商店街のお店はどんどんと撤退していき、一時期はまさに シャッター商店街そのものとなってしまいました。
1990 年代に入り、かつての賑わいを取り戻すべく、地元の商工会議所が大手広告代理店に地域活性化の施策立案を打診したところ、既存の商店街を取り壊し、巨大な 商業施設へと作り変えるプランが提案されました。しかし、財政難であった豊後高田市にとって、到底受け入れられる提案ではありません。そこで地元の若者が 立ち上がり議論を重ねた結果、寂れた商店街を逆手に取った「昭和の町」構想にたどり着きました。
ポイントは、豊後高田市が持っている資産・強みと、他の観光地の持つ特性を分析し、最もコストパフォーマンスの優れる施策を打ったことです。豊後高 田市の商店街は昭和 30 年代から大規模な再開発を行っておらず、少しの改修で当時の街並みを再現することができました。「寂れた商店街」という見方を「レトロな町並み」として評 価したのです。また史跡や歴史スポットを前面に押し出して観光地化すると、京都や金沢、鎌倉など強力なライバルとの勝負が避けられません。しかし、昭和を テーマとした観光地は他に競合がほとんどいませんでした。つまり豊後高田市は、自身の持つ最大の強みを生かせるブルーオーシャンで戦うという、最も効率の 良い戦い方を選択したのです。
2005 年からは「豊後高田市観光まちづくり株式会社」による第 3 セクター方式で運営されており、ますますの発展が見込まれています。豊後高田市の取組みは、2003 年に「半島活性化優良事例表彰 国土交通大臣賞」、「日本観光協会主催第 11 回優秀観光地づくり賞 テーマ賞」を受賞、2004 年には「手づくり郷土賞 地域整備部門 国土交通大臣賞」を受賞するなど、大きく評価されました。またその結果、ここ数年、人気雑誌のランキングで 3 年連続「住んでみたい地域」として選出されるなど、「人口増」に向けた戦略が実を結び始めています。
※写真はイメージです。
松江から約60km沖にある、島根県・海士町。10 年前には財政破たんの危機に瀕し「島が消える」寸前だった海士町は、町を挙げて様々な取り組みに挑み、今や町おこしの代表例とまで言われるようになりました。海士町はどのようにして再生の道を歩んだのでしょうか。
2002 年に当選した山内町長は、政策を「守り」と「攻め」の両面から進めていきました。「守り」の政策では、行政職員の年功序列廃止、不要な役職の廃止、自らの 給与カット断行など、徹底的な行財政の改革を進めていきました。町長だけではなく、他の職員や町の人々も給与カットや行政からの補助金の削減を自主的に申 し出るなど、町全体で政策を後押ししていきました。
一方「攻め」の政策では、海士町に現在する資源を活かした産業を作ることが目標に掲げられました。例えば地元の隠岐牛。急峻な崖地で育つため、足腰 が強く病気にもかかりづらく、また海風のミネラル分を豊富に含んだ牧草により、美味しい肉質に仕上がることが特徴です。これまでは子牛のうちに本土の業者 に卸していましたが、利益率の向上を目指して繁殖から肥育までの一貫した生産販売ができる体制が整えられました。また、白イカや牡蠣などの海産物も有名で すが、離島ゆえに本土への輸送の間に鮮度が落ちてしまい、高値でさばくことが難しい状況でした。そこで海士町では、CAS という最新の凍結設備を導入し、鮮度を保ったまま本土に商品を届けることを可能にしました。CAS は決して安い投資ではありませんが、輸送時間の問題さえクリアすれば海産物を高値で取引できる=投資の回収が確実に見込めるという判断でした。また年間を 通じて取引が行えるようになり、収入の安定化にもつながりました。
並行して海士町は様々な施策を打ち、2004 年から 10 年間で 294 世帯、437 人が島外から定住しました。人口の約 2 割(島の人口が全体で 2,300 人)を増やした上、驚くべきことに、その多くは 20 代から 40 代の若い世代でした。
コンビニもない、ショッピングモールもないと、無い無い尽くしに見える島根県・海士町。しかし、島のキャッチフレーズ「ないものはない!」にある通り、無いことを悲観するのではなく、あるものをどのように活かしていくかに注力することで開けた再生の道でした。
国としても地方創生のための施策を遂行しており、その一つとして総務省が現在「ふるさとテレワーク推進のための地域実証事業」を進めています。
2014 年の内閣府世論調査によると、東京在住者の 40.7 %が地方への移住を「検討している」または「今後検討したい」と回答しています。しかし、同世論調査では、「仕事が少ない」という問題点もあわせて指摘さ れているのです。この解決策として、現在、時間・場所の制約に縛られずに仕事ができるテレワークの活用が検討されています。
和歌山県白浜町の円月島
セールスフォース・ドットコムも「ふるさとテレワーク推進のための地域実証事業」に参加しており、クラウドサービスを活用した戦略的テレワーク拠点 「Salesforce Village」を和歌山県白浜町に設置し、本社機能の一部を移転して業務を行う新しいテレワークモデルの効果検証を行います。テレワークだけでなく、地 域の課題を解決する生活直結サービスのアプリを開発し、地域の活性化を支援します。また効果検証後には、同ソリューションを他の地域で展開することも検討 しています(詳しくはこちら)。
豊後高田市や島根県・海士町の事例にみられるように、自治体が今すでに持っている強みをきちんと再評価することで、「持続可能なまちづくり」への道 が大きく開けてきます。日本の人口減から生まれる各種の問題は確かに深刻ですが、このような自治体の学びを活かすことで、未来に希望をつなぐことができる でしょう。セールスフォース・ドットコムもクラウドサービスを活かして、地方創生に取り組んでいきます。
【参考文献】