特別対談は、「前日に京都でマークから依頼され、ここに来ることになった」というミュージシャン YOSHIKI氏によるピアノ演奏からスタートし た。そして豊田氏も「今回の対談も決まったのは2週間前。普通だったらあり得ないがマークさんに誘われたから。マークさんの人柄があったからこそ実現し た」と笑う。二人の良好な関係が披露され和やかに始まった。
そんな豊田氏にベニオフは次のように質問した。
「2年前にも対談をさせてもらったが、トヨタはそれからの2年間で大きな変化を遂げている。厳しい時代を生きている私たちにとって、トヨタの変化は素晴らしい例といえると思う。どのように、この変化を実現したのか?」
その質問に、豊田氏は率直な答えを披露した。
「社長になって5年になるが、ご承知のようにリコール問題など、次から次へと試練がおとずれた。ちょっとやり方を間違えると、トヨタであっても次は難しく なることを実感した。その中にあって応援団を作ることが自分の仕事だと取り組んできた。ステイクホルダーという単語は、イコール株主といわれるが、私は株 主だけでなく、お客様、従業員、各地域の販売会社などを含めてステイクホルダーだと捉えている」とトヨタ自動車は多くの人に支えられていると話した。
トヨタ自動車では、豊田氏も知らなかった社会貢献活動を30年から40年、行っている例もあり、「こうした活動は世の中に話してこなかったが、トヨタが頑 張っていることをみんなに伝えることが好影響を与えることもあるという声を聞いて、みなさんにお話しすることにした」という。こうした地道な活動が仲間作 りにもプラスに影響している。
さらに、応援団を増やす方法のひとつとして、「マークに教えてもらったSNS」も大きな役割を持ったことも明らかにされた。
「私には24時間しか時間はないが、マークさんに教えてもらったSNSを使うことで、私の時間が何層にも活用され、世界各地にいる私の友人ともつながることができる」
この特別対談の当日には、ベニオフが投稿したTwitterには、豊田氏との2ショット写真が公開されている。こうした取り組みがトヨタの応援団作りに寄与していると豊田氏は考えているようだ。
応援団作りと共に豊田氏が重要と考えているのが、「試練を乗り越えるひとつの方法となったのが、私は車が大好きということだった」という。
自動車会社のトップとして当たり前のことのように思えるが、豊田氏の父親である豊田章一郎氏はラジオのインタビューの中で、「息子さんが自らハンドルを 握って、レースに出ることをどう思うか?」という問いに、「何を言っても聞かないから言わないが、彼は自分一人の身体ではないという自覚が足りない」と答 えたそうだ。
豊田氏はこの応対に感じるところも多かったようだが、自分の経営スタイルは、「自らハンドルを握って、安全でワクワクする自動車作りをすることしかできなかった」と説明した。
そして、「それが正解とは限らない。ただ、そういうことを教えてくれた一人はマークさん。今回、あらためて感謝したい」とベニオフへの感謝のことばを述べた。
次にベニオフは、「企業として、持続可能な成長をどう実現していくのか?」と経営者としての質問を豊田氏に投げかけた。それに対する豊田氏の答えは次のようなものだった。
「あるべき姿のベストを求めないことではないか。常にベター、ベターで、終わりのない改善を続けていく。私は年輪のような経営をしていきたいと考えてい る。年輪は毎年積み重なって出来ていく。急成長するとその年の年輪の形はいびつになるという。そして重要なのは人材。ピアノもYOSHIKIさんが弾くこ とで人を感動させるものとなる。多くのストーリーを持った人生は人間が作る。自動車もその人間が使うものであることを忘れてはならない」
豊田氏は「自動運転」に対して、IT業界が考える自動運転は、自動車業界が考えるものとは違うものではないかとも指摘した。
「どこの家庭にもある冷蔵庫は、生活に不可欠なものではあるが、愛機とは呼ばれない。ところが自動車は愛をつけて呼称される。それは何故なのか?A地点か らB地点へと無人運転で人を運ぶものが、愛がつく自動車となり得るのか?自動車は走る、曲がる、止まることを自由に行い、さらにそこにつながる力を加える ことで、新しい魅力になり、次の100年を創っていくのではないか」
この発言をベニオフは、「豊田氏が指摘されたのは、企業はお客様のハートを理解し、感動を創っていく役割をもっているということだ」と言及した。
これを聞いた豊田氏は社長である自分自身の役割について話した。
「社長にとって良い自動車とはどういうものですか?と訊かれる。私は自分の役割とは、最後のフィルターだと思っている。企業が作る製品は、いくつものフィ ルターを通したうえでお客様のところに届く。より良いフィルターでいるために、常にフィルターとしての鮮度をあげておく必要がある。ここに来てマークさん と話しをするのもフィルターの鮮度をあげることにつながる。こうして話すのには打合せはない。前回の対談の時には打合せをして紙も用意したが、全く役に立 たなかった。その経験がいい刺激になった」
対談ではトヨタ自動車が発売した燃料電池自動車「ミライ」についても言及された。
ベニオフは自然にあふれたハワイに自宅を持っている。ハワイで生活をする中で、地球温暖化など環境への影響を考える機会も多く、「成功も大事だが、海や山 のことも考えなければならないと感じている」という。それあけに水素を燃料として採用したミライに対する注目も高いようだ。
豊田氏は会場でミライを紹介するビデオを上映した後、「15年前にハイブリッド車を発売しエコカーと言われた。しかし、当時も現在も、乗って楽しいのが自動車の特権」と環境に配慮しながらも、運転して楽しい自動車作りにこだわっていると説明。
さらに今回水素をエネルギーとして活用するミライを投入したことで、「水素社会の到来といわれ、水素ステーションがないと動かないことにどう対応するの か?という質問を受ける。水素自動車が増えれば水素ステーションも増えていくのか?それとも水素ステーションが揃わないと水素自動車は普及しないのか?と いう、卵が先か、鶏が先か?という議論だ。が、私は水素自動車と水素ステーションの関係は鶏と卵ではなく、花とミツバチのような、対立軸ではなく、お互い 寄りそう関係ではないかと考える」と指摘した。
次世代自動車の主流となるのは水素自動車なのか?電気自動車なのか?という議論に対しても、「二者択一となる質問に対して、私は答えない。トヨタのような 全方位で商品を提供してきたメーカーの役割は両方の自動車を作り、お客様に選択肢を提供すること。そして、ファン・トゥ・ドライブを実現すること」と話し た。
また、充電池を備えた自動車は、「災害という観点から目を背けてはいられない日本では、災害時にライフラインとして活用できるのではないか」と、自動車に新しい役割を与えることになることにも言及した。
この充電池を備えている特性は日本以外の国でも、「これまで電気が届いていない地域には住宅は建てられないと言われていたが、電気が届いていない地域に家 を建てて、自動車がエネルギーを供給するという新しいモデルとなる可能性もある。こうした取り組みができるのも、私たちが自分でモノ作りをしてきたからで はないか。振り返るとモノづくりの歴史とは失敗の歴史でもあるのだが、それを積み重ねることで知見ができて、新しい可能性が生まれる」と自動車がエネル ギーライフラインを担う存在として活用される可能性も示唆した。
ベニオフが、「社長就任以来、色々なことに挑戦し続けている豊田さんは、自身のおじいさまが作られたトヨタという企業を、さらに伝説の会社に成長させてい るのでは?」と質問。すると豊田氏は、「いやいや、日本には三代目は会社を潰すということわざがある。そうならないよう必死にやっている」と答え、会場は 笑いに包まれた。
それを訊いたベニオフは、「最初に、社長就任以来、試練が次々にあったというお話をされていた。その試練があったにも関わらず、楽しくなる自動車を作りた いという気持ちを持ち続けることができたのは何故なのか?その原動力はなんだったのか、改めて伺いたい」と経営者同士らしく切り込む質問をぶつけた。
それに対し豊田氏は、トヨタがトヨタで居続けるためには、Toyota Way、社会貢献ができる会社で居続けることが必要であり、30年以上続けてきたという日本及び米国で実施してきた社会貢献活動や、厳しい局面にあっても 諦めることなく、トヨタらしさを追求した気持ちが紹介された。
最後にベニオフは、豊田氏のメッセージとして「Have fun、Give back、Keep your mind on the future」 という3つかと確認したところ、豊田氏は、「その通り。『今を楽しめ、将来を考えろ、誰かのために生きろ』」とベニオフの言葉を繰り返し、歓談の中で対談 は締めくくられた。