ビッグでもスモールでも、データをマーケティングに活かすために大切なのは、データからストーリーを紡ぎ出す力である。
ウェブサイトへのアクセスデータを例に考えてみよう。今、みなさんの前に「平日はPCからの来訪が多いが、土日や祝日だけ、スマートフォンからの流 入が大きく増加する」というデータがあるとする。だが、このデータを、そのまま渡されても、マーケティングに活用することは難しいだろう。
しかし、これに、
といった情報が加わると、そこからは
「ネットで商品を購入したいと考える人の多くは平日にPCで用を済ませるが、リアル店舗に来訪したいと考えている人には、若い女性が多く、彼女たちの多くは、週末や祝日に、スマートフォンで情報を収集しているらしい。」
という「ストーリー」が見えてくる。
ターゲットとなる顧客像について、ここまで具体的なイメージがつかめれば、マーケターとしては、PCサイトとスマートフォンサイトで、来訪者に伝え る情報の優先順位を変えたり、あるいは、デバイスごとに、キャンペーンの内容や実施のタイミングを変えた方が効果的なのではないか?といったことを考えた りできるようになるだろう。
このように、「顧客が主役のストーリー」を描けてこそ、データは、マーケティング戦略の「次の一手」を考える重要な手がかりとして、その真価を発揮する訳だが、とりわけ、データの収集・解析から、必死に顧客の姿を理解しようとしている業界がある。それは、カジノだ。
ラスベガスのカジノ
賭け事というのは基本的にゼロサムゲームだ。カジノが100万円を儲けるためには、客に100万円の損をしてもらう必要がある。両者がハッピーにな るウィン-ウィンという関係は成立しない。もし、多くの客を勝たせれば、顧客満足度は上がるかもしれないが、それではカジノは潰れてしまう。
それゆえ、カジノの経営には、客に適度に損をしてもらいながらも、それなりの満足感を味あわせて、何度もカジノに足を運んでもらうという難しい舵取りが求められるのだ。
そこでカジノが積極的に活用しているのがビッグデータである。中でも、ラスベガスでシーザーズパレスやフラミンゴといったカジノを運営しているシー ザーズ・エンターテイメント社(以下、シーザーズ社)は、ロイヤリティプログラムの提供を通じ、徹底した顧客分析を行うことで知られている。
プログラムの会員になると、ホテルの宿泊やレストランでの食事やショッピングモールでの買い物、スパやゴルフ場の利用に対してもポイントがつく。多 くのロイヤリティプログラムと同様に、溜まったポイントは、ホテルの宿泊やレストランでの食事代に充てることができるので、それだけでもリピートを促す効 果はある。だが、シーザーズ社がロイヤリティプログラムを提供している真の狙いは別のところにある。
シーザーズ社では、ロイヤリティプログラムを通じ、カジノ滞在中に、会員がどのホテルに泊まり、どのようなギャンブルに興じ、そしてどのレストラン で何を食べたかといった行動データを収集している。同社は現在、カジノ滞在中に会員が支出する金銭の85%について、その金額や使い途などの詳細を把握し ていると言われている。
こうして収集されたデータから、会員一人ひとりの行動パターンやお金の使い方を徹底的に分析することで、たとえカジノで損をしても、その会員に「ま たカジノに来たい」と思わせるために、どのタイミングで、どのような「ごほうび」を、どのくらい与えれば最も効果的なのかを、ピンポイントでレコメンドで きるシステムを作り上げている。
たとえば、ある会員の行動データから、「毎年、春と秋にカジノを訪れ、ギャンプルに一定の金額を使ってくれることは分かっているのだが、今年は景気 が悪いせいか、前回の訪問から半年以上経っているのにカジノに来る様子がない。どうやら高い宿泊費がネックになって、カジノ行きをためらっているらし い。」といったストーリーが描けたとしよう。すると、その会員に対しては、通常1泊1,000ドルで販売しているスイートルーム2泊分を無料でオファーし て、カジノへの来訪を促すという「サプライズ」が効果的、というレコメンドが得られるといった具合だ。
さらに「ごほうび」を渡された会員が、本当にカジノに来たかどうか、更には、無料にした宿泊費を上回る金額をギャンブルに投じ、カジノ側がトータル でどのくらい利益をあげたかといったこともすべてトラッキングしている。これにより、「ごほうび」の効果を正しく計測することはもちろん、シーザーズ社で 働く75,000人の従業員が、自分たちの勝手な判断で、あまり効果の見込めない会員に余計な「ごほうび」を出してしまうことがないよう、徹底的に管理を している。
シーザーズ社が分析の対象としているのは、メンバーシッププログラムを通じて収集される会員の行動・購買データだけではない。
シーザーズ社のカジノには、至る所にカメラが設置されており、ギャンブルに興じる顧客の行動もモニタリングされている。一方、カジノで払った賭け金 に対してもロイヤリティプログラムのポイントがつくため、会員はポーカーテーブルでも、こぞって個人情報の提供に応ずる。この結果、会員ごとの平均的な賭 け金や勝敗などに関する定量的なデータと、その会員が、ギャンブルをする際のスタイルやクセといった定性的なデータを結びつけることも可能になる。
これにより、例えば、ある会員の過去の勝ち負けと、賭け金の関係が把握できている場合、損が一定レベルに達した会員に対して、「ここぞ」というタイミングで食事を無料で提供することで、良い気分になってもらい、再度、ギャンブルに興じてもらう、といったことも可能になる。
ちなみに、今日、デジタルマーケティングの世界では、会員IDなどのデータを介して、CRMに記録されている顧客の購入履歴と、匿名のCookie データとして収集されたウェブ上での閲覧履歴などを結びつけることで、マーケティングオートメーションを実現するといった動きが注目されている。だが、ラ スベガスのカジノでは既に、オンラインとオフラインのデータを統合し、ワントゥワンのマーケティングを実践する、といった取組が行われているのだ。
もう一つ、カジノで顧客が使う金額に影響を与えると考えられるのが、ホテルやカジノの香りだ。実際、ラスベガスでホテルに入ると、それぞれ特徴のあ る香りが満ちていることに気づく。あるホテルでは、ロビーいっぱいに花の香りが漂っているかと思えば、隣のホテルには、ココナツのような甘い香りが満ちあ ふれているといった具合である。
生花と花の香りが満ちあふれたロビー
実際、ネバダ大学などでは、カジノの香りとスロットマシンの賭け金の関係に関する研究も行われており、特定の香りには、顧客の財布のヒモを緩める効 果があるとfsいう結論も得られている。このため、ラスベガスには、それぞれのカジノの要望に応じて、特別に調合された香りを流すシステムを提供している 会社もあるくらい、香りはカジノ経営に欠かせない要素となっているのである。
実際、シーザーズ社の経営幹部は、「いまやカジノ経営にとって最も大切なのは営業免許ではなくビッグデータだ。」と公言しており、たとえば同社が運営するフラミンゴという1つのカジノだけで、200人ものデータサイエンティストを抱えている。
意外に思われるかもしれないが、アメリカのカジノ運営会社の多くは上場企業であり、その経営にバクチ的な要素は認められない。決算や業績予測については、株主に対し、極めて客観的かつ合理的な説明責任が求められるのである。
日本でも近年、カジノを中心する統合型リゾートを開発・誘致することで、経済を活性化しようという議論が起きている。だが、カジノの経営を成功させ るためには、膨大なデータの収集と緻密な分析から、ワントゥワンのマーケティング戦略を実践できる体制を作れるか否かがカギとなるだろう。
日本で「カジノ法案」が成立するかどうかは分からない。だが、もし、カジノが解禁されることになれば、それは、日本に、データドリブンなマーケティングが根付く大きなきっかけになるのかもしれない。