ものづくり大国と呼ばれた日本は、製造業を中心にしばらく低迷が続いています。米国と対等以上の競争をし、世界を席巻したメイド・イン・ジャパンのブランド力は、かつてほどの影響力を持ってはいません。
海外に行くと、この変化をより鮮明に感じることができます。街の目抜き通りにある看板や家電ショップで目立つのは、サムスンやLGといった韓国企業の製品ばかりです。
日本企業の中でも、特に製造業が弱くなったのは、新興国の台頭によるものだとする意見があります。画期的な機能を備えた新製品を出しても、新興国の企業が すぐに似たような商品を安価に提供するため、シェアを維持することが難しいのです。しかし、根本的な問題はマーケティングが機能しているかどうかの差にあ ると考えています。
長い間、日本の製造業は、技術力を強みに企業主導の企画=プロダクトアウトの姿勢を貫き、生み出された製品は市場で評価されてきました。そしてこれが、 マーケティングを小手先でしか取り組んでこなかったことの原因でもありました。一方で韓国や中国の企業は、技術力で先を行く日本企業に追いつくために、国 外市場への進出やグローバル化を見据えたマーケティングに積極的に取り組んできました。日本製品を研究し、顧客のニーズを知り、マーケットインの姿勢で製 品を開発したわけです。
そして現在、グローバル化された多様な市場を前に、製品に搭載された機能や技術力だけではなく、マーケティング視点のメッセージ発信や顧客ニーズの取り込みが競争力の重要な要素となっています。
「マーケティング」とは何かをひと言で説明することは難しく、その認識も業種や規模によってさまざまです。大まかなイメージとしては、市場や顧客を理解 し、それに対して商品の企画を考えたり、行動をとったり、自社や自社商品の価値を明らかにし、それを表現して顧客に伝えることです。さらに、コミュニケー ションやブランディング、対象の分析や理解も含まれます。ステークホルダーの中心は顧客ですが、それに社員や投資家、パートナー企業が含まれます。
かつて市場では、主に機能面で製品が評価されてきました。エンジニアが発想したことを、製品として具現化する技術力で差を付けることができたと言い換えてもよいでしょう。
しかし、グローバル化が進むにつれて、その市場には多くの競合プレーヤーが参入しています。製品機能も均質化されて市場は成熟し、技術主導の商品企画では 差別化が難しくなってきました。顧客は、ソーシャルメディアをはじめとしたデジタルテクノロジーを駆使して積極的に情報を集め、比較検討して本当に自分の 欲しいものを選びます。購入の決定要因はいまや製品機能ではなく、サービスと組み合わせた企画など、その製品によって得られる体験へとシフトしています。 つまり、搭載された機能の数を競うスペック競争の時代は終わったのです。
このような変化によって、日本企業が提供するものと顧客が求めるものとの間でズレが生じてきました。機能や性能のみを追求し、部門ごとに個別に開発された 製品では、一貫性のあるブランド価値の提供ができません。顧客にとっては、他社製品でも代用可能なものとなってしまうのです。
顧客は、自分なりの目的や優先度に合わせて、どのメーカーの製品を買うか選びます。この状況の中で、ブランド価値の構築ができていない製品は、価格と機能 だけで勝負しなければならないのです。こうした状況下では、企業のブランド価値が曖昧になり、企業価値自体も低下することになるでしょう。
世界中の競合が製品を投入する中で、顧客が何を求めているのか、市場の中で自社やその製品の価値を把握しなければ、勝つことはできません。そのためには製 品開発だけでなく、製品の価値を顧客の潜在的なニーズを理解して、製品を創造し、表現し、その価値を伝えることが重要です。さらに、市場ニーズを正確に把 握して、製造流通面でも綿密に連携することを忘れてはなりません。よく「予想外の売れゆきで品切れ」と言って喜ぶことがありますが、販売機会を損失してい るわけですから、マーケティングとしては失敗と言えるでしょう。
日本企業が作る側、売る側の視点でものを売っていた間に、韓国企業は市場や顧客の視点でものを作り、売るようになりました。「自分たちの製品やサー ビスは、顧客にとってどのような価値があるのか」ということを、徹底的に突き詰めて考えたことで、自らのポジションを確立できたと言えます。
また、最近では中国企業の存在感が増しています。もちろん、人件費の安さもありますが、変化への対応力が大きな要因です。現在、中国企業は、海外でのビジ ネス経験者を一斉に採用し、グローバルな価値観を自社内に取り込み始めています。中国企業は、これまで持っていた中国ならではの価値観にこだわらず、グ ローバル化を進めることを選択したわけです。
13億人という巨大な国内市場がありながら、なぜ中国企業は海外に出ていこうとするのでしょうか。中国は、市場規模は大きくてもいまだ不確定要素が強く、 競争も激しいため、一部の独占企業を除くと利益率も海外のほうが高いといった状況があります。中国企業はしっかりと市場を見て、強みを活かせる市場を選ん でいるのでしょう。
このような背景から、中国企業では人材を海外から採用するとともに、考え方でもグローバル化を進めているわけです。「CIO」(最高情報責任者)や 「CMO」(最高マーケティング責任者)といった用語の認知度は日本よりも高く、マーケティングや、マーケティングの力をドライブさせるITへの高い意識 が感じられます。実際、10年前の時点で「マーケティングのROIが~」といった会話が当たり前のようにされていて、驚いた記憶があります。
この点に関して日本企業は、「こだわり」と「割り切り」のジレンマに陥っているように感じています。中国と同じように、海外ビジネス経験者を採用し、グローバル化に対応しようとしている例はいくつもありますが、うまくいっているケースは少ない状況です。
これまでの日本企業の強さは、日本特有の文化や価値観に根付いた現場主義がありました。これが強みとなっている部分もありますが、会社全体としてのポート フォリオを俯瞰して考えにくい傾向がありました。「こだわるべき部分」と「割り切るべき部分」との調整がうまくできていないのです。この「こだわり」が果 たして顧客のニーズと一致しているかを再度検証すべきでしょう。顧客に対して価値を生まない部分は、余裕がある企業は別にして、他社と差別化しなくていい と「割り切って」いいと思うのですが、それが上手くいっていないようです。これは本連載の中心であるCMOの重要な仕事であると考えています。顧客や市場 の変化に対応した優先順位をつけて「割り切る」ことをしなければ、変化のスピードに対応することは難しい状況でもあるのです。
つまり、日本企業はアイデンティティをどこにするのか、そしてそのアイデンティティは顧客が望むものと連動しているのかを考える必要があるのです。
何を捨てるかの選択は、企業自身だけで決められるものではなく、市場や顧客との関係で決まってきます。企業の価値観とは、自分が思っているだけでは不十分 で、顧客がその企業に対して持っている価値観とのかい離は望ましくありません。企業自身が持つ価値観やイメージと顧客が持つそれが一致していること。この 方向付けをするのが経営者であり、デザインをするのがマーケティングなのです。
日本企業の課題がマーケティングにあると指摘しましたが、言い換えると復活の鍵を握るのもマーケティングにあるのです。
日本には、古来より「おもてなし」という文化があります。相手の気持ちを思いやり、スマートに対応するという日本人の姿勢や性格は、マーケティングに必要 な素養を備えていると言えます。潜在能力は高いのですから、ひとたびマーケティングに取り組めば、再び立ち直ることができると信じています。
ただし、これまで日本企業の多くで行われてきた、個々の接客のレベルや宣伝広告の延長線上にあるマーケティングではなく、企業経営に効果をおよぼす組織的 なマーケティングであることが前提です。シェア拡大だけを目標とするのではなく、実利を考えたマーケティング。個々の商品やブランド別ではなく、企業全体 として取り組むマーケティング。ビジネスの結果に結び付く、企業の競争力向上のためのマーケティングでなければなりません。
単なるマーケティング部の責任者ではなく、CEOやCIOと対等な立場で経営にコミットしながら、企業全体のマーケティングの方向性を判断する存在が必要 です。商品開発、流通、販促、販売、お客様サポートなど企業におけるあらゆる活動は、マーケティングにつながっています。会社全体としてマーケティングを 考えるためには、「CMO」という役割は不可欠なのです。