前回は、ビッグデータ活用でビジネスと経営にイノベーションを起こすには、ユーザ起点の発想が重要だということを述べました。最終回である今回は、そのイノベーションを促進する人物像や彼らを活かすマネジメント手法について述べます。
ビッグデータ活用に必要なデータサイエンティストが脚光を浴びています。必要な資質やその育成方法について、さまざまな見解が出されています。この ような議論がなされることはビッグデータ活用を進める上で有用なのですが、イノベーションを推進するにはもっと幅広い観点から考えるべきです。前回述べた ように、技術の新しい活用領域の発見、新しい技術や製品を普及させる仕組みづくり、デザインやインタフェース、そしてビッグデータ活用など幅広い領域がイ ノベーションの源泉になっているのですから、これらを総合的にとらえた上で、人材の登用や組織運営のやり方を変えていく必要があるのです。
日本企業の行動を見ていると、これらの変革を優れた経営者に頼る傾向があります。しかし、世界的にはイノベーションについても、これを暗黙知(経験 や勘にもとづき何となく分かっているが、言葉で表せない知識)から形式知(言葉で表せ、誰もが分かる知識)に変える研究が進みつつあります。こうすればイ ノベーションが促進されるということが、次第に具体化され実行されているのです。では、具体的に何を行えば良いのでしょうか。
前回、イノベーションにトレンド変化が起きており、従来はいかに作るか(How)が重要だったが、現在は何をつくるか(What)を考えることが重 要だと述べました。何をつくるのか、そのコンセプト作りが重要になっているのです。これが得意なのは、図1に示す「右脳的思考が主導で、左脳的思考でそれ を補佐することができる人」です。
彼らは観察力や直観力に優れ、全体をつかむ力があります。いろいろなことを知っていてじっくりと話していると楽しいのですが、多少風変りな面を持っ ています。しかも、考えが尖っていて、簡単には理解できないことを言う人達です。新しいものの創造には、論理的につきつめる「思い込み」よりも、過去の事 例を気にせず感覚的な直感を優先する「思いつき」が重要で、これに優れているのが彼らなのです。
「改良型(How)」から「発見型(What)」にイノベーションの比重がシフトする中、イノベーション人材に必要な能力も変化しているのですが、 それにまだ気付かない経営者が多いようです。図2及び図3は、経営者が新事業創造を牽引する人材に重要だと思っている能力・素養と、実際にイノベーション を起こした人が有する能力・素養が違っていることを示すグラフです*1。大変に衝撃的なグラフなのですが、私はこれを見たとたんに納得がいきました。多く の経営者が「価値実現力」と「価値発見力」を混同しているのだと。
従来の改良型イノベーションでは、そもそも何が価値なのかが明確なので、それを実現する力が重要なのです。経営者が重視している推進力、構想力、挑 戦心は、まさに改良型イノベーションを効率的、効果的に進めるための能力・素養なのです。しかし、発見型イノベーションは違います。これに不可欠なのは、 経営者が重要だと思っていない観察力や試行錯誤力や捨てる力なのです。また、経営者が重視している挑戦心とイノベーションに必要な挑戦心は多分、次元が違 うものです。経営者の方は、外形的なパフォーマンスやマインドセットと捉えていると推測しますが、実際に必要なのは思考の中で未知に挑戦することです。日 本企業の多くでイノベーションが不活発な理由は、発見型イノベーションに向かない人材をこれに充てているからなのです。
もう一つイノベーションを阻害しているものがあります。それは「イノベーションの大半は失敗する」と言う認識が不十分なことです。失敗を恐れず果敢 に挑戦する社員を応援するマインドや彼らに対するリスペクトが組織になければ、人は挑戦することをためらいます。ましてや、失敗の責任が追及される組織で あれば、出世に悪影響を及ぼすイノベーションに立ち向かう社員が少なくなり、イノベーションが生まれなくなるのです。
イノベーションの識者に聞くと、それを起こせる人材はどこにでもいるのだそうです。また、イノベーション教育を実践している方に聞くと、普通の人を イノベーション人材に育てることも可能なのだそうです。むしろ、潜在能力を有する人材を見出し活用すること、加えて、彼らの挑戦心を引き出す組織の風土作 りや社員のマインドセットの方が重要なのです。これはまさにマネジメントの仕事です。
それではイノベーションを促進する組織にするには、何をしたら良いのでしょう。企業におけるイノベーション研究の第一人者であるクリステンセンらは 『(イノベーティブな会社では)創設者であるイノベータが、自らのイノベータDNAを組織に刻み込んでいるケースが多い』*2と指摘しています。デザイ ン・コンサルティング会社でイノベーティブなデザインで有名なIDEOは、問題を深く考え、さまざまなアイデアを試す中で深め、解決に導くという「デザイ ン思考」を唱え、行動科学、技術、ビジネスなど異なる分野に深く精通した人材でチームを組み、イノベーションを実現しています*3。
一方、マーケティングの大家であるコトラーは、社内にイノベーティブな考え方を植え付けるには、まずトップがイノベーションの重要性を宣言すること が重要である。また、その文化を浸透させるには、教育、新たな人材採用、上級管理者による従業員のアイデアを聴取する機会の設定、外部のアイデア利用など の方法があることを指摘しています*4。
これら以外にも多くの識者が、イノベーションを促進する組織づくりについてさまざまな意見を述べており、それらをまとめるだけで一冊の本が書けそう です。では、日本企業、とりわけ従来型の日本企業にとっては、何が必要なのでしょうか。もちろんトップがイノベーションの重要性を理解し、それを行動で示 すことは重要なのですが、まずは自分たちに欠けているコンセプトが何かを理解しなければなりません。それは「リスペクト」と「対話」です。
新しいアイデアは初期の段階では、多くの人が理解できるアウトプットではありません。現在の組織ではマネージャーは左脳的思考が強い人が多いため、 新しいアイデアを創造する人を「何を言っているのか分からない奴だ」と思いがちです。でも、自分が思いつくことができないことを思いつくことができる人だ というリスペクトがあれば「また何か面白いことを思いついたのかな」と思うはずです。生まれた価値を潰さないことが重要なのです。逆に、彼らが得意な調整 は、重要なアイデアを変質させ、良い結果を生まないことが多いようです。
日本の組織の多くは、金太郎飴的な思考の人が集まっており、ダイバーシティ(多様性)に欠けるのが欠点です。自分と異なる考え、理解できない考えを そのまま受け入れることがダイバーシティの第一歩ですが、さらにそれが価値に結びつくという積極的な理解をするところからリスペクトは生まれるのです。女 性は一般に、共感能力が高く、また、異質なものに対し寛容的で柔軟であると言われますが、この特徴は新しいアイデアの理解にも向いていると感じます。現 在、ダイバーシティは女性登用の枠組みの中で語られることが多いのですが、実は女性登用によって異質なものへの理解が進み、それがリスペクトという風土の 醸成につながるのであれば、それはイノベーションの促進にも結び付くでしょう。
もう一つの「対話」については、マネジメントの中にイノベーションを理解できる人材がいることが前提になりますが、対話を促進することが新しいアイ デアの具現化を促進し、イノベーションにつながります。これを実践したことで有名なのはソニーの創業者の一人である盛田氏です。イノベーションの現場と盛 田氏が対話することで、新しいアイデアがより具体化し、世の中に出る機会を得たのです。この際重要なのは、金銭面、精神面両方の支援であることは言うまで もありません。
経営学の大家であるピーター・ドラッカーはマネジメントの名著と言われている『マネジメント―課題、責任、実践』のなかで、「(知識組織の)トップマネジメントが密接な関係を築く必要がある人たちが、若手の知識のスペシャリストである」と述べています*5。
専門家としてイノベーションに携わることが多い若手の知識労働者たちは、必ずしも幅広い知識を有している訳ではありません。また、マネジメント上の 課題を理解しているわけでもありません。したがって、これらに長けた経営陣が専門家と積極的に対話を行うことが重要なのです。この対話により、暗黙知が形 式知に変わり新しい商品に結びつく可能性が高まるのです。一方、経営陣には、若手との対話を通じて世の中の最新動向を肌で吸収し、目利きの能力を一層磨く ことができるというメリットがあります。
一方、イノベーションの現場には何が求められるのでしょう。まずは仕事のやり方や人材登用に関し、価値実現型から価値発見型にシフトする必要があり ます。価値を創造できる人へのリスペクトや変わった面白い奴を尊重する風土、それからアイデアを評価し、それを育てる仕組みも考えて行くべきです。アイデ アは違ったものとの交流で生まれることが多々あります。個人がさまざまな人的ネットワークを有し、その中でアイデアをぶつけ合うことでより良いものになる 可能性があります。実際に、社内に組織を超えたコミュニティが存在し、その活動の中から事業の種が生まれた企業もあります。
また、イノベーションには、さまざまな分野の知識が有効に働く場合が多々あります。自分の専門領域にとどまらず、それを一歩踏み出した活動が重要な のです。幸いなことに、インターネットの中からさまざまな知を容易に引き出すことができ、全く知らない分野であっても、短期間で相当量の専門知識を得るこ とができる時代になっています。専門外の方から新しいアイデアを提示されると、専門家は真剣に考えますよね。そのような活動がイノベーションにつながるの です。
忘れてはならないのは、この活動の中にビッグデータ活用も含めることです。ビッグデータ活用を、データサイエンティストだけの仕事にしてはいけませ ん。最初に、技術開発だけでなく、技術の新しい活用領域の発見、新しい技術や製品を普及させる仕組みづくり、デザインやインタフェース、そしてビッグデー タ活用など幅広い領域がイノベーションの源泉であると申し上げましたが、これはイノベーション活動に関係する組織が従来の研究開発部門から事業企画部門、 マーケティング部門、営業部門、顧客管理部門などに拡がっていることを意味します。顧客や人・社会をより深く理解することがイノベーションの源泉だからで す。
そう遠くない将来、表計算ソフトのExcelを使うように、パソコンからビッグデータを活用する時代が来ます。ビジネスマンが、イノベーションに本 格的に取り組む時代が来ます。ビッグデータ活用はデータサイエンティストの専門領域ではなく、ビジネスマンの基本的素養であるべきなのです。また、研究者 だけでなく、ビジネスマンもイノベーション・マインドを持つべきなのです。
5回にわたったこの連載を締めくくるにあたって、私が最もお伝えしたかったのは、『ビッグデータ活用の本質はユーザ起点のイノベーション促進であり、それをマネジメントが大きなチャンスと捉え、人材の活用方法や組織の在り方を変えていく必要がある。そして、クラウド利用はこれを促進する有力なツールである』ということです。
世界の先進企業はこれに気付き、イノベーション活動の軸足を変えつつあります。マーケット理解の方法を変えつつあります。ビッグデータ活用は単なる 大きなデータから価値を生み出す話ではありません。クラウド利用は単なるコスト低減の話でもありません。価値創造のあり方、イノベーションの方法そのもの を変えていく話なのです。
(謝辞)
この連載を書くにあたっては、さまざまな方々からアイデアをいただいた。 ビッグデータ活用の最新トレンドに関しては、東京大学先端科学技術研究センターの「ICT実証フィールドコンソーシアム」の会員の方々からの最新事例紹介 が参考になった。また、イノベーションの部分に関しては、2013年度前半に企業の方々と共同で行った研究がベースとなっている。イノベーションを実際に 行った方々へのインタビュー、および7回の議論を通してさまざまな知見が得られた。一緒に活動した岡野原、川村、國頭、佐藤、瀬戸、武、福田、吉田の各氏 には心より感謝申し上げたい。
また、最後になったが、私がちょうど書きたかったビッグデータとマネジメントに関し、連載の企画を持ち込んでくれた私の後輩とセールスフォース・ドットコム社にも御礼申し上げたい。
(参考文献)