前回の記事では、パートナーとの緊密な提携を通じてイノベーションを創り出している企業の事例としてイケアとパタゴニアをとりあげた。今回は、パートナーを顧客や外部 技術者にまで広げて価値を創造する事例としてP&G、さらに社会的生態系全体によるコラボレーションの事例としてITCをとりあげ、それぞれの エッセンスを概観してみたい。また、最後にマイケル・ポーター教授が提唱する経営フレームワーク「Creating Shared Value(CSV)~ 社会との共通価値の創造」に基づき、企業価値と社会価値を両立させる経営の重要性に言及したい。
P&Gこと、ザ・プロクター・アンド・ギャンブル・カンパニー社は、1837年創業と170年を超す長寿企業で、時価総額でも20位にラン クされる世界最大の家庭用品メーカーだ。世界180ヶ国で一日44億回も商品が使用されるというこの巨大企業は、パンパース、アリエール、ファブリーズ、 ジレット、パンテーン、ウエラ、SK-II、ブラウン、アイムスなど数多くの製品ブランドを持つ企業としても知られている。そして同社は、生活者や社外技 術者など個人単位で多くのパートナーと繋がっており、それが競争優位の源泉となっている。
きっかけとなったのは、2000年に同社を襲った深刻な経営危機、その中でCEOとなったアラン・ラフリーの戦略だった。彼は「消費者がボス」とい うスローガンを掲げ、「顧客理解」を経営の全ての原点にすると宣言。技術に偏重していた当時の同社を大転換させ、7年間で売上高2倍、純利益3倍という大 躍進を実現した。特に商品開発においては、生活者が望むことを叶えるアイデア・イノベーションを実現するとの方針のもと、生活者のコミュニティや技術者の クラウドソーシング(不特定多数の第三者に業務を委託すること)を徹底的に活用した。
例えば、少女、主婦などのセグメントごとに特色を持った独自のオンライン・コミュニティを運用し、生活者との関係性を構築し、彼らへの理解を深めて いった。「Being Girl」は少女を対象とするコミュニティで、21ヶ国に展開し、彼女達の会話の分析から深層心理を探求した。「Pampers」は幼児を持つ母親を対象 とするコミュニティでは、妊娠や子育て情報、また交流の場も提供し、彼女たちの潜在ニーズに深く探った。「Vocalpoint」は30~49才の母親層 60万人のコミュニティで、10人に1人の狭き門をくぐったクチコミを持つパワーママが集う。米ビジネスウィーク誌曰く「米国で最も影響力を持つ買い物グ ループ」と評価したほどの強力なコミュニティだ。
他方、R&Dは全世界に点在する技術者とのコラボレーションを促進する「コネクト&デベロップ」を掲げて画期的な成果をあげている。ネット ワークはクローズとオープンの二種類がある。原材料を購入するパートナー企業のR&Dスタッフ5万人を会員とした「サプライヤー・ネットワーク」 と、大学や研究機関、個人技術者を対象とする「オープン・ネットワーク」だ。公募するのは「すぐに実用化できる技術」「すぐに生産が始められる技術」「す ぐに実用化できるパッケージ形態」「すでに市場導入されている製品」の4分野だ。プロフェッショナルを対象としているため、高額の成功報酬を設定してい る。この「コネクト&デベロップ」は、米国の他に、日本、中国、インド、西欧、中南米に拠点を持ち、世界中の新技術やイノベーションを先取りする ために75名を超す社員が担当エリアの技術発掘にあたる。この結果、R&D部門の企業風土は激変し、技術革新アイデアの約半分は社外調達されるよ うになった。開発コストは半減する一方で開発生産性は60%向上。新製品の成功率にいたっては、業界平均30%に対して80%という画期的な成果をあげる こととなったのだ。
この事例のみならず、多くの企業が、ソーシャルメディアを通じて生活者の協力を仰ぎ、自社バリューチェーンへの積極関与を促すようになってきた。商 品開発のためのアイデアを提供いただく。良い商品だと友人に推薦していただく。使い方がわからない初心者を支援していただく。コネクテッド・エコノミーに おいて、生活者参加型の価値創造をできない企業は競争から取り残される可能性がある。このようなソーシャルメディアを活用した新しいバリューチェーンのあ り方については、著書『ソーシャルシフト』において「コラボレイティブ・バリューチェーン」と命名し、40社以上の事例をあげて考察している。興味のある 方はぜひそちらも参考にしてほしい。
ITCは1910年に創業されたインドの国営タバコ製造会社だ。1974年の民営化以降は経営の多角化が進み、現在では、日用消費財の製造、ホテル 経営、梱包材・紙製品製造、農産物事業の4つを基軸に、インドを代表するコングロマリットとして成長している。その中で、農業関連部門が2000年に開始 した「eチョーパル」というプログラムが世界的に注目されている。「チョーパル」とはヒンディー語で「集会所」を意味する言葉で、インド農民を対象とした 農産物調達ネットワークだ。ITCのビジネスは、インド農民から農産物を買取り世界に輸出することと、農民に農機具や肥料、さらには消費財や医療用品、果 ては金融サービスまで提供すること。つまりインド農民は同社にとって大切なサプライヤーでもあり、顧客でもあるわけだ。そんな中、eチョーパルは、農民を 3つの参加型プラットフォームで結び、彼らにさまざまな利便性を提供している。
第一の参加型プラットフォームは、村から歩いていける範囲に設置した「キオスク」だ。キオスクはITCで訓練を受けたサンチャラクと呼ばれる地元の 農民が管理している集会場所で、農業関連の貴重な情報、例えば天気予報、農作物の価格、農業関連のニュース、農法や土壌などに関するノウハウなどを入手で きるほか、農業専門家と相談する窓口を提供する。農民同志が話し合える場ともなっているという。またITCは160社以上のパートナーと提携し、種、肥 料、トラクターから保険、さらには医療や教育サービスまで多様な農業関連の商品サービスを提供する。まさに農民にとって大切な生活拠点となっているのだ。 管理人であるサンチャラクの人々は、自らが担当する地域の住民を誰一人差別することなく、村民の利益に最大限貢献することに誓いを立てる。そして収入の一 部を地域福祉に役立てるという社会契約を結ぶため、生活改善の支援をする人物として農民から広く信頼されている。ITCはこのキオスクを2013年までに 2万ヶ所、利用する農民を1000万人まで拡大する目標を掲げている。
第二の参加型プラットフォームは、村から30キロほどの所にある施設で、キヨスク40-50戸につき1つの割合で配置している。この施設は、インド の悪名高い市場「マンディ」の代替となり、公正な取引と品質管理、即金払いのシステムを取り入れた市場機能を提供する。また「チョーパル・サーガー」とい う大規模な小売店を設け、農業製品から消費財にいたるまで幅広く商品を販売する。これらのシステムにより、農民の収入と利便性は大幅に向上し、地元農民に とって切っても切れない生活の一部となっている。
第三の参加型プラットフォームは、インド農村市場の開拓に熱心な企業で構成されたサプライヤー・ネットワークだ。ITCは多くのサプライヤーを取り まとめるとともに、その規模を利用して仕入れコストの低減にも貢献している。例えば、ある農業用品に関してITCが購入希望者を募り、ネットワーク内の製 造業者と直接交渉し、製品価格を引き下げる支援をしてくれる。このような仲介役をすることで、ITCはインド各地域の農民、農業用品のサプライヤー、政府 の研究センター、NGOで構成された新たな社会的生態系を創りあげることとなった。
eチョーパルはITCの収益にも直接的に貢献している。コスト面では農産物の調達効率が劇的に改善された。また政府の委託を受けた市場「マンディ」 における各種経費が不要となり、取引コストが約3割も削減された。直接仕入れにより調達原料の品質も大幅に高まり、高品質の製品を世界に販売できるように なった。eチョーパルで農民向けに商品を販売しているサプライヤーからの手数料収入も加わった。さらに、顧客に対してさまざまなオプションサービス - ロットサイズ、梱包、納入場所、保管、品質分類、クレジット条件など - を提供し、収益基盤を拡大することに成功した。結果的に、eチョーパルの導入後、同社の利益は5倍に成長した。
同社にとって、人々が農村から都会に移らず、農村そのものが繁栄することが重要であり、農村生活を支えるさらなる試みにも余念がない。例えば収穫の 量と質を向上させるために実験農場を設置。サンチャラクに選ばれた農民のリーダーが中心となって、新たな生産技術や収穫技術を実践し、イベントを催し、成 功事例をコミュニティに紹介する。この実験農場は、零細農業をビジネスに進化させ、今や「農業起業家を育てる拠点」となっている。またITCでは職業安定 所を創設し、農業だけでは家族を養えない人々に職業を紹介しはじめた。地元の働き手の需要と供給を結びつけ、農家の生活向上を支援するためだ。このよう に、ITCはインド農業をベースとして、関係する多様な企業や人々を結びつけるプラットフォームとなり、すべての関係者の課題を解決することで、相互に価 値を創造しあうエコシステムを創りあげたのだ。
『競争の戦略』の著者であるマイケル・ポーターは、社会問題が増加の一途をたどる中で、その解決者として政府より企業の力が高まっているとし、企業 価値と社会価値を両立させる経営フレームワーク「Creating Shared Value(CSV)~ 社会との共通価値の創造」を提唱した。その中で、彼はCSVにおける3つの方向性を提示している。(1) 社会課題を解決する製品やサービスを提供すること (2)バリューチェーンの生産性を再定義して社会的価値を創造すること (3)そして地域社会を支援する価値創造ネットワークを創ることだ。
これまで、企業は行き過ぎた資本主義の中で、消費者に製品を買わせることに没頭し、利益獲得に走り、株主に成果を献上し続けた。多くの企業は、存在 する地域コミュニティが潜在的に持っているニーズに関心を持たず、利益追求のためにグローバル化をすすめ、地球環境を破壊し続けた。人件費の低い国に生産 拠点をうつし、地域社会との関係性は日々薄まっていく。そして企業の評判を維持するために、CSR活動を必要経費と捉えて控えめに推進してきた。
一方で、短期的なコスト至上主義を疑問視する動きも盛んになる。各国に分散された生産システムに関連するコスト、遠距離調達の隠れたコスト、技術や ノウハウが漏洩する危険性などが認識されはじめたのだ。例えば、英国小売企業マークス・アンド・スペンサーは南半球で購入したものを北半球に輸送すること をやめるなどのサプライチェーン見直しで、年間200億円以上のコスト削減と大幅な二酸化炭素排出量削減に成功している。米国小売企業ウォルマートは、倉 庫に近い地元農家からの調達を増やしている。輸送コストを削減し、少ロット補充を可能とすることで、遠方の工業農場から購入するよりコストを低減できるこ とがわかったからだ。
地域社会のニーズを的確に捉え、地域社会とともに共存共栄で成長するITCのビジネススタイルや、彼らが形成したエコシステムは、まさにポーターの 掲げるCSVの実践に他ならない。取引先や顧客を搾取の対象と考えるのではなく、彼らと共に価値を創造し、関係者すべてに貢献するプラットフォームとなる こと。企業はそんな社会的存在となることを求められており、CSVへの本格的な取り組みこそが、新しい時代において「生活者に選ばれる企業」となる根幹に なるはずだ。
信頼できるパートナーと、特に地域コミュニティに根づくパートナーとのコラボレーションを深める。そして、社会のニーズに真摯に耳を傾け、社会に貢 献するイノベーションをパートナーとともに実現していく。ポーターの提唱する「社会的価値を創造することで経済的価値を創出する」という考え方は「三方よ し」、すなわち長寿性を誇る日本的経営の原点に通じるものだ。今や生活者は、企業の社会貢献姿勢が見せかけなのか、本物なのかを見抜くようになっている。 そしてソーシャルメディアや購買行動を通じて、社会に貢献する企業に投票する。企業が持続的に成長するために、ソーシャルシフトの三基軸、そして「三方よ し」の考え方は必要不可欠な条件となっていくはずだ。