前回の記事では、ソーシャルメディアを「おもてなしをオンラインで実現する場」として捉え、店舗体験をウェブ化したマガジーニ・ルイーザ、リアルイベント体験をウェブ化したエッツィ、顧客サポートをウェブ化したコムキャストを事例とし、それぞれのエッセンスを概観した。
今回は、オンライン・コマースから出発しているにもかかわらず、電話というアナログな顧客接点を大切にすることで比類なきブランド・ロイヤルティを構築したザッポスをとりあげ、同社がいかに顧客感動を創造しているかを分析してみたい。
ラスベガスに旅行中のある顧客がザッポスに電話をしてきた。同社で購入したお気に入りの靴を忘れてしまい、同じものを探しているという。残念ながら 在庫切れだったが、その担当者は最寄りの靴屋に片っ端から電話をかけ、ついに探しだした。そしてその社員は靴屋に足を運び、靴を買い、その顧客が泊まって いるホテルまで届けたという。ザッポスにはこのような伝説が数限りなくある。
卓越したショッピング体験を提供することで名高いザッポスでは、10年という歳月をかけて、その顧客サービスを進化させてきた。ここで同社の成長をなぞってみよう。
これは、創業時から現在にいたるまでの「ザッポスというブランドの約束」の進化をあらわしたものだ。この流れを見ると、ザッポスも人の子、突然変異 でできた会社ではないことが理解できる。創業時、まず彼らは商売の基本である商品の品揃えを最大の力点とした。続いて差別化手段として顧客サービスの充実 に着手する。さらに顧客サービスにおいて社員が自律的に動けるように「コアバリュー」を社員で創りあげ、企業文化を醸成していく。ザッポスの代名詞とも なっている10のコアバリューができたのは、創業から約6年たった2005年だ。
そして2007年以降、ポジティブ心理学に深い興味を抱いたトニー・シェイは、ザッポスのこだわりがその中に体系化されていることに気づく。そして顧客や 社員の幸せこそ、企業が究極的に目指すべきものと覚醒し「幸せをお届ける」という経営理念を宣言するに至っている。つまり同社は基本に忠実に顧客サービス を進化させてきたのだ。
例えば、ウェブサイトチームは、試行錯誤を繰り返しながら貪欲に改善活動を行っている。アクセス解析のみならず、リアルタイムで利用者のウェブ行動を分析 し、継続的にユーザビリティを改善する。常に業界最高水準の応答時間を目指し、徹底的にサーバー・チューニングを行う。入荷全商品の全色に対して8アング ルと動画を撮影し、正確で高品質な商品案内を提供する。それに加えて、洒落っ気たっぷりなザッポスらしい演出や、社員たちのブログが人間的な隠し味とな り、ウェブサイトでの買い物体験がザッポスならではのハッピーなものとなっていく。
倉庫業務チームも同様だ。UPS最大の国際エアハブ「ワールドポート」から15分、巨大倉庫は最高のロケーションを誇る。6万5千種類もの商品一つひとつに対して、在庫管理のための固有番号を振り当てられ、自律的に最適軌道を走るネットワーク型ロボットが注文商品を運ぶ。
そして、24時間年中無休でモラルの高い社員たちが支える。巨大な米国ではeコマースの商品配達に数日かかるのが普通だが、同社の場合は東海岸エリアだと 8時間、深夜に注文して翌朝起きると靴が届いているのだ。それも有料オプションである「翌日配達」をリピート客には無料でアップグレードするサプライズ演 出つきだ。さらに「配送料無料」、「返送料不要で返品可能」というスペシャルサービスが加わる。これらのおもてなし施策により、ザッポスの「真実の瞬間」 が顧客の脳裏に刻まれていく。
ザッポスは創業以来、6年もの間、大幅な赤字や資金不足に苦しんだが、信念を貫いて顧客サービスを地道に改善してきた。アマゾン買収時に発表された資料に よると、同社の2008年度売上に対する原価率は64.8%、販売費率は31.8%、営業利益は3.4%だった。参考まで、国内衣類系小売業の原価率は約 65%、販売費率は約33%、営業利益は約3%なので、一般的な企業と財務構造に大きな違いはない。
では、何がザッポスをザッポスたらしめているのか。それは販売費の使われ方だ。同社は一般企業が広告や販売促進に投下している費用を、ほぼそのままコール センターの顧客サポートに投下している。電話からの注文はわずか5%に過ぎないにもかかわらず、総勢500名を超える精鋭オペレーターを配置し、顧客との 心のこもった対話を通じて一期一会の感動を演出しているのだ。無理な新規顧客開拓をせず、既存顧客へのサービスを徹底する。おもてなしの顧客接点として コールセンターを重視しているのは、オンライン商売である彼らにとって「電話」が最もヒューマンな顧客体験を提供できるからだろう。
自叙伝『ザッポス伝説』で、トニー・シェイはこう語っている。「ザッポス成長の一番の原動力となっているのはリピート顧客とクチコミです。広告にはほとん ど費用をかけず、その費用を顧客サービスと顧客体験に投資し、私たちに変わって顧客にクチコミでマーケティングしてもらおうというのが私たちの哲学なので す。(中略) 平均的に見て、私たちの顧客は一生のうちどこかの時点で少なくとも一度は私たちに電話をかけてくることを知っているので、私たちはその機会を使っていつま でも記憶に残る思い出を生み出すように心がける必要があるのです」。真実の瞬間に「ザッポスで買ってよかった」と心から思っていただくこと。彼らは顧客自 身が「歩く広告塔」であり、真実の瞬間こそ「広告が生まれる瞬間」であることを深く理解しているのだ。
フィリップ・コトラーは、著書『コトラーのマーケティング・コンセプト』において、企業はマーケティング予算の70%を新規顧客獲得に費やすが、新規開拓 重視の企業ほど顧客離反率が高く、さらに資金をつぎ込む悪循環に巻き込まれていると説いた。その上で、顧客を大切にすべき4つの理由として、新規顧客獲得 のコストは既存顧客維持の5倍も必要なこと、満足した顧客はリピートすること、満足した顧客は購入額が高くなること、満足した顧客は見込客を紹介してくれ ることを挙げている。
アメリカン・エキスプレスのジェームズ・パッテンの調査によると、最高の顧客は他の顧客に対して、小売業で16倍、飲食業で13倍、航空業で12倍、ホテ ル業で5倍の額を使うという。ザッポスのトニー・シェイは実は計数管理に長けており、母校ハーバード大学では、プログラミング・コンペティションで優勝経 験もあるほどだ。同社経営の背景にはしっかりしたビジネスロジックが存在しており、合理的な計算に基づいて設計されている点を理解しておきたい。
そしてもうひとつ重要なことがある。サービス業において、顧客満足と社員満足は密接に関係するということだ。ライス大学教授ジェシー・H・ジョーンズらによるサービス業への調査によると、人生満足度の高い社員は顧客から高い評価を得る可能性が高いという。
また米国ギャラップ社の調査では、人生満足度の高い社員が働いている小売店の店舗面積(フィート)あたりの利益は、他店のそれより21ドル高いという結果 も報告されている。サービス業においては、社員こそが最大の資産だ。マガジーニ・ルイーザやザッポスが社員を大切にしているのは必然の姿なのだ。つまり、 「顧客エンゲージメントの革新」と「社員エンパワーメントの革新」は、いわばカードの表と裏で、同時並行して実行すべきイノベーションと言えるだろう。
前回、今回と、4つの事例を通じて、オンラインとオフラインの境界線が曖昧になってくる様をみてきた。前著『ソーシャルシフト』ではネットとリアルを融合させた「オンライン・トゥ・オフライン」の事例を多く取り上げたが、そのトレンドはさらに拍車がかかっている。
その流れを受け、オフライン小売業者も積極的にネットの力を活用しはじめた。それも単にソーシャルメディアで公式アカウントを持つだけでなく、リアルの場からPCやモバイルがなくてもソーシャルメディアに投稿できるデバイスの装備が目立ってきた。
例えば、メイシーズの仮想試着室、ルノーのRFIDカード読取装置、コカコーラの顔識別装置、それぞれフェイスブックへの投稿を促進することで、友人への 集客効果を狙っている。ブラジルではFacebookアプリ内で押された「LIKE」の数を、実店舗のハンガーに表示する「Fashion Like」キャンペーンまで登場した。また韓国のテスコは、地下鉄にリアル店舗と同じディスプレイ・ポスターを掲示し、そこからモバイルで商品を購入する 仕組みを導入、売上を大幅に向上させた。
一方、オンライン小売事業者のオフライン進出もアグレッシブだ。象徴的なのは、アマゾンがニューヨークとシアトルのセブンイレブンに商品受取りロッカーを 設置、リアル店舗に物流拠点を展開しはじめたことだろう。これにより買い物の送料だけでなく返品送料も無料化し、将来的にはレンタルサービスなども可能と なる。
日本においても同様、オンラインとオフラインを融合する試みが盛んになってきた。ニッセンは「スマイルランド」という実店舗を展開、そこで商品を試着や購 入することも、店内のソファにおかれたiPadでオンライン・ショッピングすることもできる。また「スマイルランド・バーチャルショップ」として渋谷店を 360度パノラマ写真でウェブ上に再現。店内を閲覧し、商品をチェックしたり、店員とチャットしたりできる試みも開始した。
実店舗を持つ小売事業者にとって深刻なのは、店舗をあたかもショールームのように訪問し、実際にはネットで購入する「ショールーミング」という購買行動が 増えてきたことだ。米国ピュー・リサーチ・センターの調査によると、2011年の米国ホリデーシーズンにおいて、店舗内で友人に電話してアドバイスを受け たユーザーは34%、ネットで価格を検索したユーザーは22%、同じくネットで商品レビューを確認したユーザーは22%だった。
今や、商品のバーコードを読み取ると自動的にネット価格と比較できるスマートフォン・アプリがアマゾンや楽天から提供されており、リアルとネットのボーダーレスな競合は激化の一途をたどっている。
また、買い物に行く時間のない利用者に向けたオンラインサービスも増えてきた。月10ドルでさまざまな化粧品のサンプルが届けられて気に入ったものを購入 するブリッチボックス、月10ドルで美味しい食品のサンプルが届けられて気に入ったものを購入するラブ・ウィズ・フード、毎月イケてる服を送られてきて気 にいらないものは返品するボムフェル、月39ドルで好みのスタイルやサイズにあわせて正価100ドル以上の子供服が届けられるウィトルビー、99ドルでサ イズ、柄、素材、スタイル、刺繍等を指定したオーダーシャツが10日以内に届けられるブルーフレーム、毎月定額で一流のスタイリストがオススメする靴や鞄 をオーダーできるシューダズルなど、時間の節約と目利きによる厳選をウリにするサービスが次々と登場し、オンラインサービスの進化はさらに加速していくだろう。
オンライン、オフラインの境界をシームレスに取り除く。そして、顧客が買いたい時に、その場所で選んで買える。このような進化した小売スタイルは「オムニチャネル・リテイリング」と呼ばれ、小売業を直撃する新たな破壊的イノベーションになると予測されている。
英語の図はNRF Mobile Retail INITIATIVE、「Mobile Retailing Blueprint V2.0.0」より
日本語の部分はダイヤモンド社 Harvard Business Review 2012/7 小売業は復活できるか より抜粋
販売チャネルはテクノロジーの進化とともに高度化してきた。「マルチチャネル」時代にはチャネルごとに独立した販売接点となっていたが、「クロスチャネル」化により、各販売チャネルで情報が横断するようになった。
例えばニッセンのコマースサイトでは、その商品を購入した顧客のみが商品コメントを書き込める仕様になっているが、これは電話やFAX、ネットとあらゆる販売チャネルからの顧客データや購買データが統合されているからこそ可能になるものだ。
セブンイレブンネットでは、ネットで購入した商品を手数料無料、送料無料、店頭での代金引換にて商品が受け取れる。ヨドバシカメラではネットや店舗でポイ ントが共通して使用できる。これらもすべて基幹となる情報システムがクロスチャネル化しているからこそ実現できるものだ。
では、これがオムニチャネルに進化すると何が変わるのか。まず顧客にとって、どこで買うかは問題にならなくなる。チャートには顧客から見たリアル店舗のメリットとネット店舗のメリットを記載したが、これらのいいとこ取りができるのがオムニチャネルだ。
店舗でもネットでも携帯からでも商品在庫は統一されており、支払いや受取りも顧客が希望するものを選択できる。店舗にいながら類似商品を検索したり、利用 者の使用感を閲覧できたり、ソーシャルメディアに投稿して友人の感想を聞いたりできる。ネットで購入するときにも必要な時に店員がチャットで親切に案内し てくれる。
さらにそう遠くない将来、ビッグデータの活用により、個人に購買意欲が訪れる瞬間を察知し、過去に購入した商品との組み合わせなども考慮して、最適な商品サービスを提案するようになるだろう。