社員エンパワーメントの革新 自律的な行動を引き出す社内の信頼関係

1. 規律と自律のトレードオフ

米国タワーズ・ペリン社が2005年に16ヶ国の大規模および中規模企業の社員8.6万人を対象に行った調査では、仕事に積極的に参加していると回 答した社員はわずかに14%で、24%の社員は仕事に参加すらしていないと回答した。経営者がさまざまなテクニックを駆使してマネジメントを行ったにもか かわらず、組織のすべての階層において、大多数の社員が自らの力を発揮しているとは到底言えない実態となっていた。
また米国ギャラップ社の調査によると、やる気のない社員は米国だけで2200万人以上おり、その生産性低下による年間損失は2500億ドルから3000億 ドルにも及ぶという。これは直接的な生産性の低下を測ったものだが、周りの人に与える影響を考えるとさらに甚大で、米国GDPの10%を超える損失におよ ぶと推測されている。

社員が本来持っている力が発揮できていない。多くの経営者は、それを改善するために「賞罰によるインセンティブ」や「社員教育によるモラルの底上げ」を目 論むが、これらの施策の効果は限定的だ。賞罰によるインセンティブは、社員の創造を削ぎ、一方的な教育は反感すら芽生えさせてしまう。いかに社員の潜在的 なパワーを引出し、その力を集結させるか。いつの時代も経営者の悩みは深い。
その根幹にあるのは、規律と自律のトレードオフだ。規律志向は中央集権構造を生み、マニュアルで管理された業務を、統制によっていかに効率的にこなせるかで評価される。
一方で自律志向は分散組織を生み、個人の関心と意欲を源泉として、いかに創造的な成果を生み出すかで評価される。

今、多くの経営者が目指しているのは、使命や価値観、目標を共有し、現場社員が自律的に行動しながら、企業全体として最適化されるような理想的な組織だ。
今まで、ブランディングは顧客向けのマーケティング施策としてその重要性が認知されてきたが、昨今ではもう一つの価値、すなわち組織を自律的に駆動させる ための原動力として、社内向けのインナー・ブランディングが注目されている。ブランドの哲学を全社員に浸透させる。上司からの指示を待たず、その理念に そって社員が自律的に行動する。そんな組織体を目指す企業が増えているのだ。
ここでは、その典型的な事例として新旧二社、ホールマーク・カーズとザッポスをとりあげ、両社がいかに社内外にブランドを浸透させていったかを考察してみたい。

2. 伝統的なブランドビルダー企業、ホールマーク・カーズ

ホールマーク・カーズは、グリーティングカード関連商品で世界トップのシェアを持ち、創業100年を超える老舗企業だ。事業を展開している国々は100ヶ国を超え、全世界に2万人の社員を抱えている。
同社のミッションは「想いをかたちにして、人々の生活を豊かにすること」、創業者ジョイス・ホールがカードづくりに込めた想いが昇華したものだ。ホールは カードのクオリティに徹底的にこだわった。普段は口に出しにくい細やかな親愛の情を伝えるために、メッセージは作家が、イラストはアーテイストが創りあ げ、それを上質なトーンでまとめあげていく。紙やインクの質も含め、すべてのカードは、一つひとつ創業者とそのスタッフがじっくり吟味する。これは今でも 創業家が守り続ける伝統だ。

1928年、同社はカードの裏面に「ホールマーク」というブランド名を入れ、グリーティングカード会社として初めて全国規模の広告を開始した。その時に添 えた言葉が "When you care enough to send the very best.(想いをかたちに)"、これは当時の広告業界において最も有名になったスローガンとなる。
1951年からはテレビに進出、スポンサーとして支えた「ホールマーク・ホール・オブ・フェイム」は、79個のエミー賞を受賞するなどテレビ史上最高の名 誉ある番組となり、そのブランドは広く全米に浸透した。広告や番組内容も洗練され、控えめで、温かみがある同社のブランドイメージを守り通す。その結果、 人々の脳裏にホールマークのブランドが深く刻印されていった。

また同社は、社員のロイヤルティこそが顧客のロイヤルティを生み出すと信じ、社員の満足度や社風醸成に献身的に取り組んだ。同僚や上司との人間的な関係、 いたわりの気風、倫理と価値観の共有。それらは「ホールマークの信条と価値観」として明文化され、目的意識や価値観の共有の礎となっている。
この哲学を社員に広く伝えるのは、創業者の意思を継ぐホール家の役割だ。彼らは、社員採用において厳格な「人柄重視」の基準を定め、経歴調査も実施し、面談にも同席する。そして入社後も社員との日常的な会話を通じて理念の浸透の徹底を図っている。

ホールマークにはカード制作スタッフだけで800名強の社員がいるが、ホール家はすべてのデザインについて担当者と対話する。「その製品は人間関係を良く するか」「ホールマークのイメージにあっているか」が繰り返し問われ、詳細なガイドラインによって言葉のニュアンスから文体、用途、絵柄などが規定されて いる。
さらに社内大学「クリエイティブU」における数週間の研修で、ホールマーク流のビジネスとデザインに関する集中教育を受ける。これらを通じて、あらゆるレベルの社員がブランドの哲学を理解し、商品やサービスに反映されるようなシステムが構築されているのだ。

ただし、これらの教育が十分な効果を生むためには、社員が心からホールマークを愛していることが前提となる。その点でもホールマークの取り組みは傑出している。給与水準や労働条件のみならず、登用人事はすべて内部で行われる他、配属希望も最大限に考慮する。
そして家族の絆を深めるための託児サービス、家族・結婚カウンセリング、子育て支援のためのパートタイム雇用、勉学目的のための長期休暇、奨学金制度、家事負担を減らすための夕食提供、家庭支援のチャリティ活動まで、家族と母親を大切にする姿勢を一貫して持ち続けている。
また、社内日刊報「ヌーン・ニュース」は同社の価値観をはじめ業績、新製品、コミュニティ活動、社員の近況などを毎日伝え、企業内広報として全米トップ 10の評価を受けた。さらに年4回の「タウンホール・ミーティング」や年5000名の社員とCEOの直接対話、イントラネットを通じて、社内の信頼関係構 築に務めている。報酬やリーダーシップ、説明責任、会社に対する意見も常に対話を通じて吸い上げている。

これらの一貫的かつ多面的な施策により、ホールマークの価値観は、社員、顧客、サービスのすべてに調和した企業文化となった。社内では息苦しい管理や細かい階層は存在せず、組織はフラットでスリム、インフォーマルで活力に満ちたものになっている。
そして同社は常に「働きたい企業ランキング」の上位に位置し、離職率も極めて低い水準にある。

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3. 新興のブランドビルダー企業、ザッポス

1999年に創業されたザッポスは、ホールマークと異なり、歴史の浅い新興企業だ。同社のCEOトニー・シェイは、あえてマスメディアの効率性を選ばず、顧客のクチコミを通じて同社サービスの卓越さを知ってもらうことに専念した。その中核となるのが「コアバリュー」だ。
ザッポス社員に価値観を浸透させ、企業文化を創り上げることにこだわり続ける。結果としてコアバリューは社員の「ウェイ・オブ・ライフ」となり、驚きのブランド体験を提供する原動力となった。

ウェブサイトとサーバー運用、倉庫物流などのバックヤード、顧客サービスの核となるコンタクトセンター、そして本社。それぞれに配置された社員がコアバリューに従い、有機的に協調して顧客の満足、そして感動を創造していく。
豊富な品ぞろえと買い物のしやすさ、送料無料、返品無料、翌日配送へのサプライズ・グレードアップ、そして懇切丁寧で人間味溢れる電話応対。ザッポスでの 買い物体験で心を打たれた顧客は、積極的に友人にクチコミし、それが伝播していく。いつの間にか比類なき顧客サービスを実現するベンチャーとして広く知ら れる存在となり、メディア露出も増えていった。
さらに自社の企業文化を広く伝えるために、カルチャーブックを配布し、ザッポス見学ツアーも常設した。
また、ソーシャルメディアを通じて社員による自律的なブランディングを行い、創業者みずからが伝道師となって出版や講演を行う。ザッポス文化の象徴であるコアバリューを原点とし、内面から一貫性を持ったブランド醸成をし続けたことが同社最大の特徴と言えるだろう。

同社のコアバリューは、トニー・シェイの呼びかけに応え、全社員が一年以上かけて「ザッポスらしさ」とは何かを考え、練り上げたもの。
つまり、社員が自らのために自ら考えて創りだした価値観だ。そしてもう一つ、彼らのコアバリューは高邁な理念ではなく、具体的な行動を促す実践的な内容に なっている点も重要だ。同社の社員はトップや管理層の指示を待つことなく、このコアバリューにそって自律的に行動している。
そして日々の業務のみならず、採用、研修、人事評価、賞与、イベント、オフィス環境にいたるまで、ザッポスのすべてがコアバリューを基礎としているため、ブランドとしての一貫性を醸成する源泉ともなっている。

例えば採用では、少なくとも4回、多い場合は20回もの面談を通して「カルチャーフィット」「スキルフィット」を試される。特に価値観へのこだわりは強く、スキルレベルがいくら高くてもカルチャーフィットしない人材は雇用しない。
また研修もユニークだ。前半2週間は「ザッポスのサービス魂」をワークショップ形式で学び、後半2週間はコンタクトセンターで電話応対をすることで実践す る。いかなる職種でもこのプロセスは変わらない。実際にCOOとして就任したクリス・ニールセンも他の新人と同様の新人研修を受けている。社内教育プログ ラム「パイプライン」も同様で、価値観が教育の中核に組み込まれている。

さらに人事評価の基準も同様だ。例えばコンタクトセンター社員の査定基準は「売上」や「ひとり当たりの処理時間」ではなく「顧客を満足させるために『普 通』を超越するサービスを提供できたか否か」という視点での評価となる。ザッポス社員は実に自由奔放で、そのハチャメチャさに来訪者や求職者は衝撃を受け るほどだが、その背景には共通の理念、共通の目標に対する高い規律性がある。
その結果、ザッポスは伝説のサービス・カンパニーとなり「顧客サービス・ランキング」「働きたい会社・ランキング」の常連として人々の印象に深く刻まれている。

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4. ホールマーク・カーズとザッポス、新旧ブランドビルダーの比較

まず、顧客に対するブランドの醸成という観点から見て、ホールマーク・カーズとザッポスを比較してみたい。共通しているのは、社内において「ブラン ド哲学」を徹底的に浸透させたこと。あらゆる顧客接点において、その哲学を一貫して伝えたこと。それにより顧客の心理にブランドの印象が刻印された点だろ う。
逆に異なっているのは、ホールマーク・カーズが伝統的なメディア、特にテレビを巧みに活用してブランディングを行なってきたのに対して、ザッポスはマスメ ディアを避け、電話やソーシャルメディアといった属人性の高いメディアを用いて、CEOを含む社員自らがブランド哲学の体現者としてブランディングを行っ ている点だ。

また、社員に対するブランド哲学の浸透という観点からも比較したい。共通しているのは、社員の採用、研修教育、モノづくりやサービス提供における評価、オ フィス環境、福利厚生といった多面的な社員接点において、統一されたブランド哲学が徹底的に貫かれていること。しかも、それが長期にわたって一貫して実行 されることにより、社員の心理にブランド哲学が強烈に浸透している点だ。
異なっているのは、ホールマーク・カーズのブランド哲学は創業者および創業家がエバンジェリストとなってトップダウンで全社浸透を行っているのに対して、ザッポスではあくまで社員が創り上げ、ボトムアップで社員の手によって広く伝えられている点だ。

また、ザッポスの特徴のひとつに、ソーシャルメディアの積極的な活用がある。それも告知媒体としてではなく、その活用目的を「生活者との関係を深めるこ と」と位置づけている点が重要だ。同社はソーシャルメディア上で商品を売り込むのではなく、人間同士の信頼関係を築くことに重きをおいている。社員には ソーシャルメディア活用が推奨されており、その書き込みは正直で飾りがない。
そしてここにもマニュアルはない。ブログチーム社員のコメントが印象的だ。「ツイッターで何かをつぶやくのは人前で話すことと同じです。ザッポスでは何百 人という社員がツイッターを使っていますが、そうした使い方は徹底されています。人前で話せないことはつぶやかないということ。社員はみな、自分が会社か ら信頼されていると知っており、だからこそ責任ある行動を取ります。誠実で相手を尊重したコミュニケーションに徹するのです」。
同社は活用ガイドラインもソーシャルメディア戦略もない。社員は自由に生活者とコミュニケーションし、それが同社のブランドイメージとして浸透していく。 創りこみではなく、そのままの社員ブランディングを行い、生活者の共感が連鎖していく。これこそが同社最大の強みと言えるだろう。