ご経歴と、馬術に関わるようになったきっかけを教えてください。

高校卒業後、会社勤務を経て、北海道の牧場で競走馬に関する仕事に就きました。JRAに入ったのが23歳の時で、その翌年には結婚もしました。その後、脳卒中で倒れたのが47歳の時で、そこから右半身はほとんど動きません。乗馬を始めたのはそれから2年以上後のことです。ある馬との出会いがきっかけで、リハビリを兼ねて乗馬を始めました。

 

 

競走馬の調教師から競技者になろうと思ったきっかけとは?

JRA時代に競走馬の育成・調教の仕事をしていましたが、競技者になった最初のきっかけは、脳卒中で倒れたことです。

競走馬と関わっていた頃は、馬に蹴られりするのは当たり前で、馬の危険は身を以て知っていました。だからこそ、右半身が動かなくなってからは、余計に 「馬には乗れへん」 と思い込んでいました。

そんな中、次のきっかけになったのは、近所に住んでいた知人が飼っていた盲導馬との出会いです。馬といっても、競走馬と違いアメリカンミニチュアホースと呼ばれる種類で、大きさはゴールデンレトリバーよりも少し大きいくらい。馬としてはとても小さいサイズです。それに、その馬は盲導馬として調教されていたので、当時 ── 右手右足が麻痺して動かない、言葉を発することができない ── 僕の隣にいつも来て、僕のペースに寄り添うように歩いてくれました。そうして、リハビリを兼ねて乗馬するようになりました。

 

脳卒中後、乗馬に復帰できるまでのリハビリ期間はどのくらいでしたか?

まず倒れてから3週間ほどICUで生死を彷徨い、そこからもナースステーションで4週間ほど意識がない状態が続きました。その後、2年経った頃に、ある馬(盲導馬)との出会いがきっかけでリハビリとして乗馬を始めました。それから一年ほど続けた頃にパラ馬術を知り、挑戦を決めました。競技者として練習を始めたのは、病に倒れてから4〜5年くらい経った頃です。

 

トレーナー(調教助手)として活躍されていましたが、脳卒中になる前は競技をされていたのですか?

いいえ、競技はしていませんでした。

 

乗馬に復帰して、競技レベルに移行するモチベーション(原動力)はどこにあったのでしょうか?

馬と一緒だからですね。馬って凄いんです。病気で倒れた当初、高次脳機能障害(言語障害がある状態)があったので、全然言葉を発することができませんでしたが、乗馬を始めるにつれて、次第にゆっくり言葉を発することができ、再び言葉でのコミュニケーションが取れるようになりました。JRA時代に馬の危険性と同じくらい、乗っている時の気持ち良さや魅力も知っていました。馬との出会いがあったからこそ、今もこうしてお話することができています。

それと、馬場馬術の会場は国内外いつも郊外が多いですが、東京オリンピックの会場である馬事公苑は世田谷区の比較的中心地での開催なんです。残念ながらコロナで無観客になる可能性が高いですが、たくさんの観衆の方に見てもらいたいという気持ちもモチベーションになっていると思います。

 

パラ馬術競技について詳しく教えてください。

パラ馬術競技は馬場馬術のみです。競技者は決められた同じ経路を回って、常足(なみあし)、速足(はやあし)、駈歩(かけあし)その他にも図形など、決められた動きをいかに馬と美しく描くか、で点数を競います。

競技は各項目10点満点の減点方式、つまり減点が少ない順に順位が決まります。

また、競技者は障害の具合によって大きく5つにクラス分けされます。障害の種類は関係ありません。男女の性別区分もありません。僕は「グレード2」という障害の重い方から2番目のクラスになります



 

 

日々のトレーニングや競技においてもっとも苦労していることは何ですか?

片麻痺であることです。

一見、麻痺しているのは手と足だけのように見えますが、右半身の全てが麻痺しています。馬に乗るにはバランスが必要なので、片麻痺の状態で馬に乗るのは大変です。通常、手綱は両手で持つけれど、僕の場合は、バーの手綱を使って左手で操作しています。

馬は、例えば足で蹴ったり、お尻で押したり ── 右と左からの力(“扶助”)によって動きますが、僕の場合は指示を含めて馬とのコミュニケーションも全て、左半身で行わなければいけません。例えば、馬を真っ直ぐ走らせていて、自分の体を前に倒すと、足も少し後ろに傾くでしょう?それに馬が気付いてくれて、指示を感じ取ってくれるんです。馬の方も「この扶助はこういう意味なんだな」と、次第に理解してくれるようになるんです。

 

 

【Salesforceの取り組み】Salesforceは世界へ羽ばたく熱いチャレンジを応援します - 馬術競技者 宮路満英

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時岡 碧